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 録音メッセージ
 以下は主日礼拝の講解メッセージです。
 
ご参考にしてください。
ヨハネ福音書8章21-30節(2020年7月26日)

(1)人がキリストを捜し求めても無駄に終わるということがあり得ますか。
(2)24節で、イエスはご自分がどんな方であると語っていますか。ギリシャ語(エゴーエイミ)の意味を説明して下さい。
(3)28節でイエスの死後(人の子を上げた時)、ユダヤ人たちは「イエスがどんな方であるか」を知るようになると言われましたか。

ヨハネ福音書8章12-20節(2020年6月28日)
(1)主に従う者にはどのような約束がありますか。2つ挙げて下さい。
(2)14節の「イエスの自己証言」はどうして真実だと言えるのですか。
(3)「父なる神」を知る方法は何ですか。

ヨハネ福音書7章53節−8章11節
(2020年5月31日)

(1)ヨハネ7:53−8:11は大括弧〔〕で囲まれている。それはなぜですか。
(2)律法学者とパリサイ人たちの訴えはどうして「挟み撃ち論法」となりますか。
(3)この婦人に「石を投げなさい」と言われたが、どういう条件をつけられましたか。
(4)イエスは罪のないお方であるのに、どうして婦人にさばきを下さなかったのですか

ヨハネ福音書7章40-53節(2020年4月26日)

(1)偏見を持たないでイエスというお方を見るには、何が必要ですか。
(2)下役たちはどうしてイエスを捕らえられなかったのですか。
(3)18ヶ月前イエスのところに初めて来たニコデモとこの時のニコデモはどう違いますか。

ヨハネ福音書7章37-39節(2020年3月29日)

7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇 いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ 出るようになります。」
7:39 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエ スはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。




ルカ福音書11:33-36(2017年2月5日)
(1)霊的光であるイエス・キリストはどのように人々に救い主であることを証ししましたか。
(2)光が輝いていても心の目が曇っていると正しく救い主を見ることができないのはなぜですか。
(3)私たちの周りの人に救い主を伝える方法を主イエスはどのように語られましたか。

ルカ福音書11:27-32(2017年1月29日)
(1)イエスを宿したマリヤよりもっと幸せな祝福された者となる道はなんですか。
(2)御霊に導かれて神のみことばを受け入れた信者の内にはどんなお方が宿っていますか。
(3)さばきの日には、シェバの女王やニネベの人たちが立ち上がってこの時代(イエスの時代)の人々をさばくのはなぜですか。


ルカ福音書11:14-26(2017年1月22日)
(1)イエスがバプテスマを受けられた後、主の行動を見て、身内の者たちは、どのように誤解しましたか。
(2)悪霊のえさとなるものにはどういうものがありますか。
(3)18章の取税人の信仰は、どのように悪霊にスキを与えない信仰ですか。

ルカ福音書11:5-13(2017年1月15日)
(1)神様が愛なるお方なら、なぜ私たちが願うように、祈りにすぐ答えて下さらないのですか。
(2)13節に「あなたがたも、悪い者ではあっても」とあるが、この言葉をどう受け取るべきですか。
(3)マタイ7章11節の「良いもの」がルカ11章13節では「聖霊」になっているのはどうしてですか。

ルカ福音書11:1-4(2017年1月8日)
(1)私たちはどうして、神の御子イエス様と同じ呼びかけで「父よ」と祈れるのですか。
(2)「御国が来ますように」とは具体的に私たちにどう適用できますか。
(3)「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します」とはどういう意味ですか。


ルカ福音書10:38-42(2016年12月18日)
(1)前回の良きサマリヤ人の譬と今日の学びの個所はどのように誤解されやすいのですか。
(2)「主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」とのマリヤのどんな態度を学ぶべきですか。
(3)「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」とのその一つは何ですか。

ルカ福音書10:25-37(2016年12月11日)
(1)律法の専門家がイエスを試みようとした動機は何ですか。
(2)人は律法を守ることによって救われる(永遠のいのちを得る)ことができますか。
(3)良きサマリヤ人とは誰のことですか。自分の救いの証しを紹介できますか。

ルカ福音書10:21-24(2016年12月4日)
(1)21節の「幼子たち」とはどういう特徴を持った者たちですか。
(2)この世の賢い者に何が「覆い」となって隠されているのですか。
(3)キリストは「神のかたち」「完全な神の現れ」であるとはどういうことですか。

ルカ福音書10:17-20(2016年11月27日)
十字架のみわざで名が天に書き記された
(1)70人は何を喜んで帰って来ましたか。
(2)神に召された私たちを「神が義と認めている」のはどんな事実に基づいてですか。
(3)私たちの名が天に書き記されている事実を消すことができる何かがありますか。

ルカ福音書10:1-16(2016年11月20日)
70人が遣わされる
(1)70人の弟子たちが遣わされたのは、どちらの方向ですか。それはなぜですか。
(2)マタイ10章16節「蛇のように賢く、はとのように素直に」の意味を説明して下さい。
(3)10章6節の「平安の子」とエペソ2章3節の「怒りの子」の意味をそれぞれ説明して下さい。

ルカ福音書9:57-62(2016年11月13日)
弟子になることを妨げるもの
(1)57節の「ある人」(律法学者)の申し出を主はどうして受け入れなかったのですか。
(2)59節の「二番目の人」のどこに弟子の心構えとして問題がありますか。主は何と勧めましたか。
(3)61節の「三番目の人」の発言のどこに弟子の心構えとして問題がありますか。

ルカ福音書9:49-56(2016年11月6日)
天からの審判の火をお受けになったお方
(1)49節のヨハネの発言の何に問題ありましたか。
(2)拒絶する者に天から審判の火を呼び下す考え方は、旧約聖書的に律法的に、正しいですか。
(3)拒絶する者に対する審判の火はどなたに呼び下されましたか。それはなぜですか。

ルカ福音書9:43-48(2016年10月30日)
一番小さい者が一番偉い
(1)弟子たちは、主は最終的にはイスラエルの王として迎えることになると考えるようになっていた。この誤解を解くために主は弟子たちに何と予告されましたか。
(2)イエスを信じる者には、もはや触れたくない場所というものは1つもないのはなぜですか。
(3)「あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです」(48節)とはどういう意味ですか


ルカ福音書9:37-43(2016年10月23日)
山の下の出来事
(1)山のふもとで、どんな問題が起こっていましたか。
(2)神の国の権威を授けられていた弟子たちがいやすことができなかったのはなぜですか。
(3)父親が「信じます」と言った信仰はどんな信仰ですか。

ローマ人への手紙8:28-29(2016年10月16日)
すべてのことを働かせて益としてくださる

ルカ福音書9:27-36(2016年10月9日)
ただイエスだけ
(1)27節の「神の国を見る」は、いつ、どこで、どのように実現しましたか。
(2)変(へん)貌(ぼう)の山での出来事は、やがて現れる神の国(千年王国)の特徴をすべて縮図のようなかたちで  見せている。簡単に説明して下さい。
(3)変(へん)貌(ぼう)の山で弟子たちに、最期に「見えたのはイエスだけ」であったとは、何を教えていますか。

ルカ福音書9:23-27(2016年10月2日)
日々自分の十字架を負うとは
(1)イエスのくびきを負うことは、重荷を負うことになりますか。
(2)イエスについて行きたいと思う者は、何を捨て、日々何を負ってついて行くのですか。
(3)日々の生活で自分の十字架を負う具体的経験例を挙げて下さい。

ルカ福音書9:18-22(2016年9月25日)
神のキリスト
(1)五千人の給食の奇跡の後、主と弟子たちはどこへ、どういう目的で向かいましたか。
(2)「人のキリスト」と「神のキリスト」の違いを説明して下さい。
(3)「神のキリスト」と信仰告白できた弟子たちは、だれにも話さないように戒めて命じられたのはなぜですか。

ルカ福音書9:10-17(2016年9月18日)
五千人の給食
(1)伝道旅行から帰った弟子たちは何をしましたか。
(2)イエスと弟子たちがベツサイダに退かれたのはなぜですか。
(3)弟子たちは「からっぽの管」であるとはどういうことですか。

ルカ福音書9:1-9(2016年9月11日)
イエス弟子たちを遣わす
(1)ヘブル2:3-4によれば、当時の弟子たちのメッセージは「そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力  あるわざ」によってあかしされたとある(ヘブル2:3-4)。今日の福音宣教にも奇跡的な「いやし」(しるしと  不思議)が伴うことが、必ず必要なことだと言えますか。
(2)神の国とは「神の支配」の意味。神の国の福音を伝える者の心得を言ってください。
(3)ヘロデはなぜイエスに会ってみようとしたのですか。

ルカ福音書8:40-56(2016年8月28日)
長血の女の病をいやし、死にかけていたヤイロの娘の病を直す
(1)会堂管理者ヤイロの娘の病状はどうでしたか。イエスに何をお願いしましたか。
(2)12年間長血をわずらった女は、どのようにして、たちどころに出血が止まりましたか。
(3)多くの聖書注解者は、ヤイロの娘は死んでいたのが生き返らされたと解説しています。娘は死んでいたのですか、それとも眠っていたのですか。

ルカ福音書8:22-39(2016年8月21日)
悪霊につかれたゲラサ人のいやし
(1)イエスをメシヤ(救い主)と信じていた弟子たちの信仰は何が欠けていましたか。
(2)悪霊を追い出されたゲラサ地方の民衆はイエスに対して何を願いましたか。
(3)イエスにお供をしたいとしきりに願った人に対して何と言って家に帰されましたか。

ルカ福音書8:16-21(2016年6月26日)
聞き方に注意しなさい
(1)あかりをつけてから、それを「器で隠す」または「寝台の下に置く」とはどういう意味ですか。
(2)イエスの教えに対して、聞き方に注意しないとどういう結果になりますか。
(3)イエスにとって、本当の「母、兄弟たち」とはどういう人たちですか。

ルカ福音書8:4-15(2016年6月19日)
聞く耳のある者は聞きなさい
(1)なぜ主イエスは、大ぜいの人の群れにはたとえを用いて話されたのですか。
(2)なぜ主イエスは、たとえの最後に「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれたのですか。
(3)なぜ主イエスは、弟子たちにだけ詳しく説明されたのですか。

ルカ福音書8:1-3(2016年6月12日)
目立たない働きの重要性
(1)主と弟子たちの生活の必要はどのようにまかなわれたのですか。
(2)なぜ女たちは主と主の弟子たちを背後で助ける奉仕をする人になったのですか。
(3)あなたは「目立つ人」と「目立たない背後の奉仕をする人」のどちらになりたいですか。

ルカ福音書7:36-50(2016年6月5日)
二人の債務者のたとえ
(1)ある罪深い女はどのようにして「知恵の正しさが証明された実例」と言えますか。
(2)ここの罪深い女はどうしてイエスを愛する振る舞いをしたのですか。
(3)パリサイ人シモンはどうしてイエスを愛する振る舞いをしていないのですか。

ルカ福音書7:24-35(2016年5月29日)
「神の国で一番小さい者」でも彼よりすぐれている
(1)7章27節とその引用文であるマラキ3章1節はどう違っていますか。それは何を意味しますか。
(2)28節の「神の国で一番小さい者でも、ヨハネよりもすぐれている」とはどういう意味ですか。
(3)35節の「知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します」とはどういう意味ですか。

ルカ福音書7:18-23(2016年5月22日)
先駆者ヨハネの疑惑と信頼
(1)この時バプテスマのヨハネはどこにいましたか。
(2)ヨハネはイエスについてなぜ疑惑を持ちましたか。つまずきの原因は何ですか。
(3)ヨハネに対するイエスのお答えは何でしたか。

ルカ福音書7:11-17(2016年5月15日)
やもめのひとり息子を生き返らせた主
(1)やもめの母親にとってどんな悲しいことがありましたか。
(2)私たちは以前どのような意味で死人でしたか。どのように新しいいのちを持つに至りましたか。
(3)イエスはどのように死人をよみがえらせましたか。

ルカ福音書7:1-10(2016年5月8日)
主イエスを驚かせた「りっぱな信仰」
(1)このカペナウムの百人隊長はどんな人でしたか。どんな必要がありましたか。
(2)マタイ福音書8章では、百人隊長は直接イエスのところに行ったことになっている。このルカ福音  書では、長老たちを遣わしたことになっている。どのように整合がとれますか。
(3)この百人隊長の「主イエスに対する信仰」はなぜイエスを驚かせましたか。

ルカ福音書6:39-49(2016年5月1日)
「盲人という偽善者」と「賢い人・愚かな人」
(1)盲人はどうして盲人の手引きができないのですか。
(2)木とその実の関係はどのように重要ですか。
(3)賢い人はなにを土台としていますか。愚かな人の土台は何ですか。

ルカ福音書6:27-38(2016年4月24日)
主イエスの秘密兵器:愛
(1)人に福音を伝えることにおいて最も有効な武器は何ですか。
(2)35節によれば真の「キリスト者特有のもの」とは何ですか。
(3)「法的な赦し」と「親としての赦し」の違いを説明して下さい。

ルカ福音書6:17-26(2016年4月17日)
福音を伝える弟子たちの心構え
(1)マタイの山上の垂訓とこのルカ6章の教えはどのように違いますか。
(2)「心の貧しい者は幸いです」と「(あなたがた)貧しい者は幸いです」とどう違いますか。
(3)「あなたがた富む者」はなぜ哀れなのですか。

ルカ福音書6:12-16(2016年4月10日)
12弟子が使徒として選ばれる
(1)12節でイエスが祈るために山に行き、「神に祈りながら夜を明かされた」のはなぜですか。
(2)主イエスが十二弟子を選ばれた「3つの目的」を述べて下さい。
(3)ペテロはどういう人でしたか。どのようにして主の弟子として訓練されましたか。

ルカ福音書6:1-11(2016年4月3日)
安息日を制定された神のみこころ
(1)1節の「ある安息日に」とは、(ギリシャ語テキストによれば)いつの安息日のことですか。
(2)ダビデが律法で禁じられている供えのパンを取って食べたことが罰せられなかったのはなぜですか。
(3)イエスが安息日に「手のなえた人」をいやした行為はなぜ安息日の律法に違反しないことですか。

マタイ福音書27:62-28:15(2016年3月27日)
主イエスの復活と私たちとの関係
(1)ユダヤ教の指導者たちはなぜイエスの墓を監視する番兵を置いてほしいと頼んだのですか。
(2)ユダヤ教の指導者たちは番兵たちを買収してどんな作り話をしましたか。
(3)イエスの復活は私たちキリスト者にとってどんな関係がありますか(現在と将来について)。

ルカ福音書5:27-39(2016年3月20日)
「人の子」はなぜ罪人を招かれるのか
(1)レビ(別名マタイ)はイエスに従った結果として、どんな大きな実を結びましたか。
(2)レビが自分の家でイエスのために「大ぶるまい」をした理由は何ですか。
(3)「ユダヤ教とキリスト信仰」、「律法と恵み」は互いに相容れられないことを何で教えていますか。

ルカ福音書5:17-26(2016年3月13日)
罪を赦す権威を持っておられる主
(1)なぜパリサイ人と律法の教師たちも、イエスがおられるところに来ていたのですか。
(2)主イエスに「友よ」と呼ばれた人はどういう人ですか。
(3)「神をけがす」3つの場合を挙げてください。今日の箇所はどの場合ですか。

ルカ福音書5:12-16(2016年3月6日
わたしの心だ。きよくなれ
(1)12節の原文にある「見よ」にはどういう意味がありますか。
(2)全身ツァラアトの人をきよめることは、頼まれたから仕方なくなされた行為でしたか。
(3)ツァラアトの人に「だれにも話してはいけない」と命じられたのはなぜですか。

ルカ福音書5:1-11(2016年2月28日)
充実した人生への道
(1)5章8節で主の足もとにひれ伏す前までのペテロは、イエスをどういうお方と考えていましたか。
(2)イエスに「深みに漕ぎ出して、…」と言われた時、ペテロはなぜ断らなかったのですか。
(3)自分の罪深さを自覚したペテロは、なぜ聖いお方の前にとどまり続けることができたのですか。

ルカ福音書4:31-44(2016年2月21日)
力を証明される人の子
(1)カペナウムの人々は主イエスの教えに驚きました。それはなぜですか。
(2)シモンのしゅうとめは熱病からいやされた後、どうしましたか。
(3)「神の国の福音」とはどういう意味ですか。どうしたら「神の国の福音」にあずかれますか。

ルカ福音書4:14-30(2016年2月14日
教えによる準備
(1)13節と14節の間では、約1年が経過しています。その間、どんな出来事がありましたか。
(2)主がナザレの会堂でイザヤ61章1-2節を朗読され、ご自分がどなたであると宣言されましたか。
(3)ナザレの人々はなぜイエスに激怒して、がけのふちから投げ落とそうとしたのですか。

ルカ福音書4:1-13(2016年2月7日
試みによる準備
(1)主が荒野に行ったのは、誰に導かれてのことですか。何のため荒野に導かれたのですか。
(2)「この石に、パンになれ」との誘惑に対して、どのように勝利されましたか。
(3)今日、私たちも悪魔の誘惑に対して勝利する秘訣は何であると、エペソ6章で教えられますか。

ルカ福音書3:21-38(2016年1月31日
働きの準備をされる人の子イエス
(1)罪のないお方が、なぜ「悔い改めのバプテスマ」をヨハネから受ける必要がありましたか。
(2)ルカ福音書で繰り返し、イエスが「祈られた」と記されているのはなぜですか。
(3)ルカ福音書のイエスの系図によれば、メシヤとしての預言をすべて成就していると言えますか。


ルカ福音書3:15-20(2016年1月24日)
聖霊と火のバプテスマ
(1)バプテスマのヨハネは、自分をキリストと比べてどのような存在であると言いましたか。
(2)ヨハネの弟子たちはヨハネの死後、どのような問題を起こす存在となっていましたか。
(3)「聖霊のバプテスマ」と「火のバプテスマ」の違いを説明してください。

ルカ福音書3:1-14(2016年1月17日)
罪が赦されるための「悔い改め」
(1)大祭司は終身職であったはずなのに、なぜ二人の大祭司がいるのですか。
(2)「悔い改め」によって与えられる「罪の赦し」の根拠は何ですか。
(3)8節の「こんな石ころ」とは誰のことを指していますか。

ルカ福音書2:40-52(2016年1月10日)
イエスの少年時代
(1)幼子イエスは神の子の知恵に満ちていたのですか。それとも普通の人の子として成長したのですか。
(2)イエスが12歳の時、どんな出来事がありましたか。その時イエスはどこで何をしていたのですか。
(3)ナザレに帰って、「両親に仕えられた」とはどんな意味ですか。

ルカ福音書2:21-39(2016年1月3日)
幼子イエスの割礼と奉献に立ち会ったシメオンとアンナ
(1)幼子イエスは誕生後、どのような儀式を守り行いましたか。
(2)シメオンが幼子イエスを見た時、どのような預言的なことを語りましたか。
(3)女預言者アンナは人々に幼子イエスについて何を語ったと思いますか。

ルカ福音書2:1-20(2015年12月20日)
人の子のご降誕
(1)メシヤはなぜベツレヘムでお生まれになったのですか。
(2)御使いは羊飼いたちにダビデの町で生まれた方はどんな方であると告げましたか。
(3)主の生涯と働きは、どのように神に栄光を、地上の御心にかなう人々には平和がもたらされましたか。

ルカ福音書1:57-80(2015年12月27日)
先駆者ヨハネの誕生とザカリヤの預言
(1)ザカリヤ夫婦は、どうして子どもの名前をヨハネにしたのですか。
(2)聖霊に満たされたザカリヤの預言の内容は、どんなことで神を賛美していますか。
(3)旧約聖書における主(ヤハウェ)は、新約聖書においてはどなたを指していますか。

ルカ福音書1:26-56(2015年12月13日)
人の子の誕生が告知される
(1)御使いはマリヤを礼拝しましたか、また「恵みに満ちた方」ではなく、何と呼ばれましたか。
(2)マリヤを「神の母」と呼んでいる個所は聖書にありますか。
(3)「マリヤは罪のない人間だった」との教えが間違っているのはどの聖句から分かりますか。

ルカ福音書1:5-25(2015年12月6日)
先駆者ヨハネ誕生の告知
(1)ザカリヤとエリサベツはどういう人たちでしたか。
(2)バプテスマのヨハネはどういう3点で「主の御前にすぐれた者」となるのですか。
(3)16節と17節によれば「主」とはどういう方を意味していますか。

ルカ福音書1:1-4(2015年11月29日)
序文:ルカによる福音書の目的と執筆方法
(1)著者のルカはどのような人物でしたか。
(2)執筆の動機は何ですか。
(3)執筆に用いた方法は何でしたか。2つ挙げて下さい。

使徒の働き13:38-41(その2)(2015年11月22日)
ピシデヤのアンテオケにおけるパウロの説教第3区分
(1)どうしてイエスによって「罪の赦し」が得られるのですか。
(2)イエスを「信じる者はみな」、「モーセの律法」から解放される(義とされる)のはなぜですか。
(3)「イエスを信じる」とは、具体的にどういうことですか。
(4)パウロは聴衆に向かってどのような警告をしていますか。

使徒の働き13:38-41(2015年11月15日)
ピシデヤのアンテオケにおけるパウロの説教第3区分
(1)どうしてイエスによって「罪の赦し」が得られるのですか。
(2)イエスを「信じる者はみな」、「モーセの律法」から解放される(義とされる)のはなぜですか。
(3)パウロは聴衆に向かってどのような警告をしていますか。

ヨハネ福音書21:15-25(2015年11月8日)
ペテロの回復と殉教の予告
(1)ペテロは失敗の経験から何を学びましたか。
(2)主イエスを愛し慕うペテロに、その愛の証拠として、何をするように命じましたか。
(3)ペテロの殉教はどうして神の栄光を現すことになるのですか。

ヨハネ福音書21:1-14(2015年11月1日)
ガリラヤで弟子たちに現れたイエス
(1)人の魂を救いに導くのに必要なことは何ですか。
(2)専門家である漁師たちが一晩中漁をしたのに何もとれなかったが、主に従って網を下ろしたら大  漁だったことは、今日の私たちに何を教えますか。
(3)主は復活の日から昇天の日までの40日間、弟子たちにずっと現れ続けなかったのはなぜですか。

ヨハネ福音書20:24-31(2015年10月25日)
信じない者にならないで信じる者になりなさい
(1)トマスが責められるべき点は何ですか。
(2)8日後にトマスも含めて弟子たちが戸が閉じられている室内に主が来られて何と言われましたか。
(3)トマスが主に向かって「私の主、私の神」と言ったことばを主は正しましたか。なぜですか。


ヨハネ福音書20:19-23(2015年10月18日)
弟子たちへの顕現
(1)主の復活後、「平安があなたがたにあるように」という御言葉はどのような新しい意味が加わりましたか。
(2)主が弟子たちに息を吹きかけたのはなぜですか。なぜその必要がありましたか。
(3)罪の赦しの福音はどのように伝えるべきですか。それには何が必要不可欠ですか。


ヨハネ福音書20:11-18(2015年10月11日)
マグダラのマリヤへの顕現
(1)「しかし、マリヤは」と表現されているのはなぜですか。
(2)マリヤに新たに示される主を知る方法はどういうものですか。
(3)主が「わたしたちの父」とは言われず、「わたしの父またあなたがたの父」と言われたのはなぜですか。

ヨハネ福音書20:1-10(2015年10月4日)
主が復活された証拠
(1)他の福音書によれば、墓に行ったのはマグダラのマリヤだけではないのに、なぜヨハネは彼女のことしか記していないのですか。
(2)ペテロとヨハネが墓に向かったのはなぜですか。
(3)8節で、もうひとりの弟子ヨハネは、何を「見て、信じた」のですか。

ヨハネ福音書19:38-42(2015年9月27日)
ヨセフの墓への埋葬
(1)ユダヤ人を恐れていたヨセフが大胆に行動できるようになった理由は何ですか。
(2)ニコデモがヨセフと行動を共にするようになったのはどうしてですか。
(3)キリスト者は死者の埋葬についてどのように考えるべきですか。

ヨハネ福音書19:28-37(2015年9月20日)
完了したイエス・キリストのみわざ
(1)神の御子であるイエスが、「神から捨てられた状態」になったのはいつのことですか。
(2)30節で主イエスが「完了した」と言われたのは、何が完了したという意味ですか。
(3)イエスは真の意味において過越の小羊であることを出エジプト記の聖句から説明して下さい。


ヨハネ福音書19:17-27(2015年9月13日)
あなたのための十字架刑
(1)主イエスはその両手、両足を十字架に釘づけられた。その肉体的な苦しみはどんなでしたか。
(2)罪状書きは「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書かれた。それは正しい表現ですか。
(3)千年も前に書かれた詩篇22篇18節の預言が成就されました。これから何が分かりますか。


ヨハネ福音書19:1-16(2015年9月6日)
ピラトの判決:無罪、しかし有罪
(1)ピラトはなぜ罪を認められないイエスをむち打ちにしたのですか。
(2)イエスの頭にいばらの冠をかぶらせたのは何を象徴し意味していますか。
(3)ユダヤの祭司長たちが「カイザルのほかには、私たちに王はありません」との発言はどういう意味ですか。

ヨハネ福音書18:28-40(2015年8月30日)
総督ピラトの前のイエス
(1)ユダヤ人たちはイエスをどのような罪があると総督ピラトに告発しましたか(ルカ23:2参照)。
(2)イエスの王国は「この世のものではない」(36節)と語られました。では、どのようなものですか。
(3)38節で総督ピラトが「私は、あの人には罪を認めません」と言うのはなぜですか。

ヨハネ福音書18:12-27(2015年8月23日)
ペテロの失敗を教訓とする
(1)第1回目から第3回目までのペテロの否認は、それぞれだれに対してですか。
(2)ペテロが3回も主を否認するという失敗した原因はどこにありますか。
(3)3回目の否認の後、ペテロはどのような行動を取りましたか。その結果はどうなりましたか。

ヨハネ福音書18:12-24(2015年8月16日)
主イエスの驚嘆すべきへりくだり
(1)主イエスに対して、なぜ宗教裁判だけでなく民事裁判も必要でしたか。
(2)大祭司がイエスに、「弟子たちのこと、また、教えのこと」について尋問したのはなぜですか。
(3)主は、自ら進んで召喚され、侮辱され、犯罪人として扱われました。それはなぜですか。

ヨハネ福音書18:1-11(2015年8月9日)
彼らはあとずさりし、そして地に倒れた
(1)ユダはだれを引き連れてゲッセマネの園に来ましたか。その人たちは何を持って来ましたか。
(2)主が「それはわたしです」と言われた時、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。どうして倒れたのですか。
(3)十一人の弟子たちが主と一緒に捕らえられなかったのはなぜですか。

ヨハネ福音書17:20-26(2015年8月2日)
すべての信じる者のために祈るイエス
(1)20節の「彼らのことばによってわたしを信じる人々」とはどういう人々を意味していますか。
(2)世界教会運動がしている一致運動と21節のみことばが意味している一致はどう違いますか。
(3)御父はまるで、ご自身のひとり子を扱われるように、私たち信者を扱われるのはなぜですか。

ヨハネ福音書17:9-19(2015年7月26日)
大祭司としての主イエスの祈り(2)
(1)「この世」と「主のもの」との違いを説明して下さい。
(2)11節から15節で、主が祈っておられるのはどんなことですか。
(3)16節から19節で、主が祈っておられるのはどんなことですか。

ヨハネ福音書17:1-8(2015年7月19日)
大祭司としての主イエスの祈り
(1)どのようにしたら永遠のいのちを得られると、主は語っておられますか。
(2)十字架によって現された御父の栄光はどんなものですか。4つ挙げて説明して下さい。
(3)主が弟子たちを信頼する根拠になっているものは何ですか。なぜ信頼できるのですか。

ヨハネ福音書16:25-33(2015年7月12日)
世にあっては艱難があるが勇敢でありなさい
(1)なぜ、主が「弟子たちに代わって父に願ってあげよう」とは言わなくてよいのですか
(2)主イエスは、この世の支配者である悪魔に、どのように勝利しましたか。
(3)キリスト者はなぜ、患難の多いこの世にあっても平安を持ち、勇敢であることができるのですか。

ヨハネ福音書16:16-24(2015年7月5日)
あなたがたの悲しみは喜びに変わる
(1)「あなたがたの悲しみは喜びに変わる」その時がいつなのか、3つの解釈を述べて下さい。
(2)3つの解釈のうち、決め手となるのは何ですか。
(3)主イエスの御名によって父に求めるものは、どうして与えられるのですか。その根拠は何ですか。

Uテモテ4:7-8(2015年6月28日)
人類に対する三種類のさばき
(1)救いに関わるさばき
(2)報酬に関わるさばき
(3)不信者に対するさばき

ヨハネ福音書16:8-15(2015年6月21日)
御霊はすべての真理に導き入れてくださる
(1)罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせるとはどういう意味ですか。
(2)世の誤りを認めさせることは、使徒の働きの中でどのように成就していますか。
(3)真理の御霊は、人をどのように「すべての真理に導き入れ」ますか。

ヨハネ福音書16:1-7(2015年6月14日)
迫害があっても助け主が共にいる
(1)主を信じないユダヤ人たちはなぜ主の弟子たちを会堂から追放し殺すようなことをするのですか。
(2)弟子たちはひとりとして、主に「どこに行くのですか」と熱心に尋ねなかったのはなぜですか。
(3)主が去って行くことは、どうして弟子たち(今日の私たち)にとって益と言えるのですか。

ヨハネ福音書15:18-27(2015年6月7日)
世の憎しみを予告するイエス
(1)なぜ「世はあなたがたを憎む」と言われたのですか。
(2)「わたしが来て彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかった」(22節)とはどういう意味ですか。
(3)「真理の御霊」はだれについてあかしをするのですか。

ヨハネ福音書15:12-17(2015年5月31日)
主が友と呼んで下さる特別の恵み
(1)「主が愛したように、弟子たちが互いに愛し合うという戒め」を与えられたのはなぜですか。
(2)「しもべ」と「友」の違いは何ですか。主が弟子たちを友と呼んだのはなぜですか。
(3)弟子たちが主を選んだのではなく、主があなたがたを選び、任命したと語られたのはなぜですか。

ヨハネ福音書15:7-11(2015年5月24日)
喜びにあふれた力強い生活
(1)祈り・願いがかなえられる秘訣はなんですか。
(2)主が私たちに対する愛はどれほどのものですか。何と同じですか。
(3)私たちの喜びが満たされる秘訣は何ですか。

ヨハネ福音書15:1-6(2015年5月17日)
まことのぶどうの木であるイエス
(1)主がご自身のことを「(まことの)ぶどうの木」と示されたのはなぜですか。
(2)私たちが経験的に「主にとどまる」には、具体的にどうすればよいですか。
(3)主にとどまっていなければ「投げ捨てられて」「人々は火に投げ込む」とはどういう意味ですか。

ヨハネ福音書14:27-31(2015年5月10日)
弟子に平安を残されるイエス
(1)主が弟子たちに与える「主の平安」は、世が与える平安とどう違いますか。
(2)「父はわたしよりも偉大な方だからです」(28節)をエホバの証人はどう解釈していますか。
(3)弟子たちは主が父のもとに行くことを喜ぶべきだ、と言われたのはどういう意味ですか。

ヨハネ福音書14:21-26(2015年5月3日)
御父と御子がともに住んでくださる人
(1)主が弟子たちだけに限定された「ご自身を現す」のはどのような方法ですか。
(2)「主を愛する人は、主のことばを守る」その結果、その人にはどんなことが起こりますか。
(3)「助け主」として私たちに遣わされた聖霊は、どのような助けを与えてくださいますか。

ヨハネ福音書14:18-21(2015年4月26日)
あなたがたを捨てて孤児にはしない
(1)「あなたがたのところに戻って来る」との3つの解釈を説明して下さい。
(2)「世はわたしを見なくなる。しかし、あなたがたはわたしを見る」とは、どういう意味ですか。
(3)主をよく知る人になるには、どうすればよいですか。21節から答えてください。

ヨハネ福音書14:12-17(2015年4月19日)
もうひとりの助け主の約束
(1)「それよりもさらに大きなわざ」とはどんなわざのことですか。
(2)「イエスの名によって求める」とはどういう意味ですか。
(3)聖霊はなぜ「真理の御霊」と呼ばれるのですか。

ヨハネ福音書14:4-11(2015年4月12日)
道であり、真理であり、いのちであるイエス
(1)「イエスが道である」とはどういう意味ですか。どうしてイエス以外に道はないのですか。
(2)「イエスが真理(アレセイア)である」とはどういう意味ですか。
(3)「イエスがいのちである」とはどういう意味ですか。

ローマ人への手紙6:1-11(2015年4月5日)
キリストの十字架(死)と復活を適用する
(1)私たちはどのようにして「罪に対して死んだ」者となりましたか。
(2)「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられた」(6節)との意味を説明して下さい。
(3)11節の「思いなさい」とはどのような事実に基づいてのことですか。

ヨハネ福音書13:36-14.3(2015年3月29日)
ペテロの否認を予告/場所を備えに行く
(1)「主のためにはいのちも捨てます」と言うペテロは何が問題でしたか。何が欠けていましたか。
(2)「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く」とは具体的にどういう意味ですか。
(3)「また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます」とはいつのことを語られたのですか。

ヨハネ福音書13:31-35(2015年3月22日)
栄光があらわにされることと新しい戒め
(1)「十字架の贖罪の死」は、どうして主の地上のみわざの「最も栄光ある部分」と言えるのですか。
(2)主が与えられた「新しい戒め」はどういう意味で新しい戒めですか。2点挙げて下さい。
(3)主のみことばによれば、「キリストの弟子であるしるし」は何ですか。

ヨハネ福音書13:21-30(2015年3月15日)
裏切り者にならないために
(1)愛する弟子のひとりに裏切られる時が来た時、主の心はどのようでしたか。
(2)悪魔サタンはどのように漸(ぜん)進(しん)的(てき)な段階で人の心をそそのかして「主を裏切る者」にさせますか。
(3)悪魔に対する唯一の安全策は何ですか。聖句で答えて下さい。

ヨハネ福音書13:12-20(2015年3月8日)
ご自身の模範に従うよう弟子を教える
(1)主は、文字どおりに水でお互いの足を洗い合うように、と言われたのですか。
(2)「互いに足を洗い合う」という実物教育の模範の意味を、聖句に基づいて説明して下さい。
(3)20節のことばはなぜ語られたのですか。

ヨハネ福音書13:1-11(2015年3月1日)
弟子たちの足を洗うイエス
(1)サタンが私たちを誘惑するのによく使う武器は何ですか。
(2)洗足の行為が「マルコ福音書」にではなく、「ヨハネ福音書」に書かれているのはなぜですか。
(3)水浴と洗足の霊的意味の違いを説明してください。

ヨハネ福音書12:44-50(2015年2月22日)
不信仰に対する警告(講話のまとめ)
(1)44-45節での主イエスの発言によって、主は父なる神と一体であることがわかりますか。
(2)47節の「わたしはよをさばくために来たのではなく、世を救うために来た」とのみことばは、主が今後も永遠にさばかないことを意味していますか。
(3)「父の命令が永遠のいのちである」とはどういう意味ですか。

主日礼拝前半(賛美・お祈り・バン裂き)(2015年2月15日)
ヨハネ福音書12:34-43(2015年2月15日)
信じなかった大半のユダヤ人
(1)主が「上げられる」といわれたことは、「キリストはいつまでも生きている」と言われている旧約聖書の預言と矛盾していると考えたユダヤ人たちは、どんな理解が欠けていましたか。
(2)あるキリスト者はキリストの再臨についての真理を認めようとしない。あなたはどうですか。
(3)42節の「指導者たちの中にもイエスを信じる者」は本物のキリスト者ですか。何が問題ですか。

ヨハネ福音書12:27-33(2015年2月8日)
間近に迫る死に直面するイエス
(1)「今わたしの心は騒いでいる」と言われる「主の心の動揺」は何が原因ですか。
(2)27-28節の主の祈りはゲッセマネの園での祈りとどのように類似していますか。
(3)主の十字架の死によってこの世の支配者サタンはどのように敗北し頭を砕かれましたか。キリスト者はこれをどのように適用すべきですか。

ヨハネ福音書12:20-26(2015年2月1日)
「イエスに会おうとしたギリシャ人」と「一粒の麦のたとえ」
(1)ギリシャ人たちがイエスに会いたいと言って来た時、十二弟子たちの心境はどんなでしたか。
(2)「人の子が栄光を受けるその時が来ました」(23節)とはどういう意味ですか。
(3)「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは1つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(24節)はどういう意味ですか。なぜこのように語られたのですか。

ヨハネ福音書12:12-19(2015年1月25日)
勝利の入城
(1)イエスのエルサレム入城を大声で「ホサナ」と叫んで出迎えた群衆の動機はどんなでしたか。
(2)なぜ主イエスは「馬」ではなく「ろばの子」に乗って入城されたのですか。
(3)イエス・キリストの生涯の中で、この段落の行動が非常に特異なもの「ユダヤ人全体の注目を集めるもの」であるのはなぜですか。

主日礼拝前半(賛美・お祈り・バン裂き)(2015年1月18日)
ヨハネ福音書12:1-11(2015年1月18日)
ベタニヤで香油を注がれるイエス
(1)自らを危険にさらすことになるのに、なぜ主イエスはベタニヤに来られたのですか。
(2)マリヤが非常に高価な、純粋なナルドの香油をイエスに注いだ動機は何ですか。
(3)十二弟子にも選ばれたユダが、なぜ僅かばかりのお金でイエスを売り渡そうとしたのですか。

ヨハネ福音書11:47-57(2015年1月11日)
私たちの身代わりに死なれる救い主
(1)現代の無神論者や懐疑論者は、イエスの奇跡を、ペテンであるとか、錯覚であると言うのは論理的ですか。
(2)すべての人がイエスを信じるようになると、どうして「ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる」と言えるのですか。
(3)神様は当時の大祭司カヤパを用いて「イエスが民の代わりに死ぬことによって、国民全体が滅びない」と発言させました。イエスは何のために身代わりに死なれるのですか。

ヨハネ福音書11:38-46(2015年1月4日)
第七番目のしるし:ラザロの復活
(1)マルタは、主がラザロを今よみがえらせることを信じていましたか。そうだとどうして分かりますか。
(2)主イエスがラザロをよみがえらせる前に声を出して父なる神に祈られたのはなぜですか。
(3)主が「死人のラザロ」に向かって「ラザロよ。出て来なさい」と大声で叫ばれたのはなぜですか。

ヨハネ福音書11:30-37(2014年12月28日)
ラザロの墓で涙を流すイエス
(1)悲しんでいる人に対して同情心または親切心を向けることは、どのような報いを与えられることになりましたか。
(2)主が「霊の憤りを覚え」たのは誰に対してのものでしたか。なぜですか。
(3)イエスが涙を流されたのはなぜですか。それは主がどういうお方であることを意味していますか。

クリスマス礼拝・ルカ福音書2:1-20(2014年12月21日)
救い主のご降誕/御使いと羊飼いたち
(1)神の救いのご計画を進めるために、神は皇帝アウグストを用いて何をさせましたか。
(2)主の来臨の栄光を最初に目撃したのが、ユダヤ教の指導者たちではなく、ユダヤ教で罪人(安息日違反者)とされていた羊飼いただったという事実は、何を私たちに教えますか。
(3)2章11節から、お生まれになった方はどういうお方か、この方の三面を説明してください。

ヨハネ福音書11:17-29(2014年12月14日)
今の問題の解決者と信じるか
(1)マルタは、主イエスが神であられるとはまだわかっていないことがどの言葉からわかりますか。
(2)終わりの日のよみがえりの時に、信者は2グループに分けられることはどうしてわかりますか。
(3)イエスこそ、預言者たちが予告していた「神の子キリスト」であるとマルタの信仰告白が変わったのはなぜですか。

ヨハネ福音書11:7-16(2014年12月7日)
イエスのベタニヤへの旅
(1)主が「もう一度ユダヤに行こう」と言われた時、弟子たちが恐れを感じたのはなぜですか。
(2)聖書でキリスト者の死が「眠りについた」と表現されるのはなぜですか。
(3)ラザロが死んだというのに、主は「わたしは……喜んでいます」と言われたのはなぜですか。

ヨハネ福音書11:1-6(2014年11月30日)
あなたが愛しておられる者が病気です
(1)ベタニヤのマリヤは、どんなことをしたことで有名でしたか。
(2)「あなたが愛しておられる者が病気です」との伝言は、悩みのうちにあるキリスト者の模範となるのはどんな点ですか。
(3)神が人に病気などの「災い」を許容される目的は何ですか。

ヨハネ福音書10:31-42(2014年11月23日)
そのみわざによってキリストと証明されたイエス
(1)ユダヤ人たちがイエスを石打ちにしようとしたのはなぜですか。
(2)詩篇82篇で「神々」と呼ばれたのはどういう人たちですか。なぜそのように呼ばれたのですか。
(3)主の言われたことが信じられなくても、主のわざを信用したら結果はどうなりますか。

ヨハネ黙示録1:5-6(2014年11月16日)
神の国(天の御国)とは
このメッセージは、去る11月13-14日に奥多摩福音の家で行われたNTT・KDDI合同聖書研究会の一泊研修会でなされたものです。

ヨハネ福音書10:19-30(2014年11月9日)
救いの確かさの根拠
(1)ユダヤ人たちの間にまた分裂が起こったのはなぜですか。
(2)ことばと奇跡によって証ししたのに、主をメシヤと信じなかったのはなぜですか。
(3)羊のように弱い私たちが「決して滅びることがない」と言い切ることができるのはなぜですか。

ヨハネ福音書10:10-18(2014年11月2日)
良い牧者なるイエス
(1)「良い牧者」と「雇い人」の特徴をそれぞれ挙げて下さい。
(2)16節の「この囲いに属さないほかの羊」とは何を意味していますか。
(3)「わたしには、いのちを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります」と言える人がいますか。

ヨハネ福音書10:1−9(2014年10月26日)
羊の牧者であり、また門であるイエス
(1)「羊の囲いに門から入らないで」と「門から入る」とは、それぞれどういう意味ですか。
(2)牧者なる主イエスの羊になるには、どのようにしてなるのですか。
(3)主イエスという門を通って入り、また安らかに出入りするとはどういう意味ですか。

ヨハネ福音書9:26−41(2014年10月19日)
あなたはその方を見たのです
(1)パリサイ人たちは盲人だった人に、なぜ同じことをもう一度聞いているのですか。
(2)28節の「私たちはモーセの弟子だ」とはどういう意味ですか。
(3)イエスがユダヤ教から追放された人を捜し求めたのはなぜですか。何のためですか。
(4)39節の「わたしはさばきのためにこの世に来ました」はヨハネ3章17節の「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく」と矛盾しませんか。

ヨハネ福音書9:13−25(2014年10月12日)
私は盲目であったのに、今は見える
(1)神が安息日を制定された目的は何ですか。盲人の目をあけることは安息日違反ですか。
(2)ユダヤ人たちが生まれつき盲目だった人の両親を召喚したのは何のためですか。
(3)生まれつき盲人だった人はどのように証ししていますか。

ヨハネ福音書9:1−12(2014年10月5日)
生まれつきの盲人のいやし
(1)「生まれつきの盲人」を見た時、この人に対する弟子たちの考えはどんなでしたか。
(2)今日でも様々な障害を持った人たちがすべて神のわざを現すためであると言えますか。
(3)この盲人は主イエスの奇跡的わざにあずかるのに何が必要でしたか。

ヨハネ福音書8:48−59(2014年9月28日)
アブラハムの生まれる前から、わたしはいるのです
(1)48節の「あなたはサマリヤ人で、悪霊につかれている」とはどういう意味ですか。
(2)主が「だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません」と言われたのはどういう意味ですか。
(3)58節の「アブラハムの生まれる前から、わたしはいるのです」とはどういう意味ですか。

ヨハネ福音書8:37−47(2014年9月21日)
神の子と悪魔の子の特徴
(1)人がもしアブラハムの子どもなら、どんなわざをするはずだとイエスは言われましたか。
(2)人間に対する悪魔のわざの特徴を2つ挙げて下さい。
(3)人として生まれた者で「私に罪があると責める者がいますか」と問えた人はいましたか。


ヨハネ福音書8:31−36(2014年9月14日)
真理はあなたがたを自由にする
(1)「主のことばが私にとどまる」のと「私が主のことばにとどまる」とは、どう違いますか。
(2)「真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」とはどういう意味ですか。
(3)「ある罪の行為をする者」と「罪を行っている者」(34節)とはどう違いますか。
(4)罪の奴隷であるならば、いつ「神の家」から追い出されるかもしれません。いつまでも「神の家」にいるには何が必要ですか。

ヨハネ福音書8:21−30(2014年9月7日)
主の警告を受けた不信のユダヤ人たち
(1)21節で、主が行こうとしておられる天に入るのを拒まれるのはなぜですか。
(2)24節で、「わたしのことを信じなければ」の訳語を原文に従って直訳するとどうなりますか。
(3)28節で、「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、…を、知るようになります」とはどういう意味ですか。
(4)「人が自分の罪のうちに死ぬ」(天国に入れない)ことから救われる道は何ですか。


ヨハネ福音書8:12−20(2014年8月31日)
世の光であるイエス
(1)人類史上、「わたしは、世の光です」と、本気で言えた人はいましたか。
(2)「わたしに従う者」とはどういう意味ですか。イエスを模範として生きることですか。
(3)主に従う者に与えられた約束は何ですか。どのようにしてその約束を経験出来ますか。

ヨハネ福音書7:40−53(2014年8月17日)
イエスに対し分裂する意見
(1)イエスがキリスト(救い主)であるかどうかは何によって判断するべきですか。
(2)下層階級の者のほうが、偉い人や学識のある人より、「何が真理か」をより正しく判断する場合が多いのはなぜですか。
(3)18ヶ月前イエスのところに初めて来たニコデモとこの時のニコデモとどう違いますか。

ヨハネ福音書7:37−39(2014年8月10日)
栄光を受けられたイエスの御霊
(1)「永遠のいのちの水」を飲むことが出来る条件は何ですか。
(2)キリストを信じる者の内側からわき出るいのちの水である御霊はどのようにながれますか。
(3)7章39節は「御霊はまだなかった」と直訳されますが、それはどういう意味ですか。


ヨハネ福音書6:52−59(2014年7月31日/外處家家庭集会で)
「イエスの肉を食べ、血を飲む」とはどういうことですか
(1)53節は、パン裂きの制定のこと言っているのではないとどうして分かりますか。
(2)6章54節と47節を対比して読むと、どういうことが分かりますか。
(3)主イエスと私たちキリスト者との「密接なきずな」を何に例えて語られましたか。

ヨハネ福音書7:14−24(2014年7月27日)
宮で教えをされるイエス
(1)その教えが神から出たものか、人から出たものかを判断するのは何によりますか。
(2)ベテスダの池のほとりでなされた主イエスのいやしは安息日の規定を破ることでしたか。
(3)「うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをする」には何が必要ですか。


ヨハネ福音書7:1−13(2014年7月20日)
世の人の考えと神の御心
(1)仮庵の祭りとは何を記念する祭りですか。その象徴的意味は何ですか。
(2)6節の「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつも来ている」とはどういう意味ですか。
(3)世(当時のユダヤ宗教)がイエスを憎み、殺そうとするのはなぜですか。

ヨハネ福音書6:66−71(2014年7月13日)
救い主のことばに対する様々な反応
(1)弟子たちのうちの多くの者が真の信者ではなかったのはなぜですか。
(2)ペテロの返答「主よ。私たちはだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます」とはどういう意味ですか。
(3)ペテロの返答で間違っているところはどこですか。主はどう訂正されましたか。
(4)多くの弟子たちが主に従うのを止めてしまった根本原因はなんですか。


ヨハネ福音書6:60−65(2014年7月6日)
主が話したことばは、霊であり、またいのちである
(1)「弟子たちのうち多くの者」はどういうことにつまずいているのですか。
(2)「人の子がもといた所に上る」とは具体的にどういうことですか。
(3)「主が話したことばは、霊であり、またいのちです」とはどういう意味ですか。
(4)「父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない」とはどういう意味ですか。

ヨハネ福音書5:24-29(2014年4月27日)
いのちを与え、さばきを行われる主
(1)どのようにしたら、人は主から永遠のいのちを受けることができますか。
(2)主イエスを信じる者が「さばきに会うことがない」のはなぜですか。
(3)父なる神より主イエスに「全人類にさばきを行う権」を与えられたのはなぜですか。

ヨハネ福音書3:16-21(2014年1月5日)
ひとり子を与えるほどの神の愛
(1)ヨハネ3章16節は、聖書全巻の中で最も有名な聖句として挙げられるのはなぜですか。
(2)「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」とは、どういう意味ですか。
(3)なぜ「御子を信じる者が滅びないで永遠のいのちを持つ」ことが出来るのですか。
(4)21節の「真理を行う者」とは、どういう人のことですか。


NTT・KDDI合同聖書研究会(2013年11月8日)
一泊研修会(於:奥多摩福音の家)での早天祈祷会でのメッセージとお祈り

(ヘブル10:19他)
イエスの血によって、大胆に
(神との交わりを回復する唯一の道)
私たち日本人の多くは「血」という言葉を好まない。しかし聖書によれば、
私たち罪人が神に受け入れられるためには、血が不可欠であることを
知る。「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはない」(ヘブル9:22)と
ある。
神が人の罪を赦す根拠となるものは「血」です。それも罪汚れにないお方
の「血」でなければならない。
驚くべきことに、被害者である神の側から加害者である私たちのところに、
罪汚れのない神の御子が与えられました。


ヨハネ福音書21:15−19
あなたはわたしを愛しますか
 「ヨハネの子シモン。あなたは…わたしを愛しますか」
三度も同じ質問がなされているのを見る。その中で一度は、「この人たち以上に、わたしを愛しますか」と。「この人たち以上に」ということばは、ペテロがかつて「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません」と言った自信過剰のことばを思い出させるためである。

ルカ福音書11:33-36(2017年2月5日)
(1)霊的光であるイエス・キリストはどのように人々に救い主であることを証ししましたか。
(2)光が輝いていても心の目が曇っていると正しく救い主を見ることができないのはなぜですか。
(3)私たちの周りの人に救い主を伝える方法を主イエスはどのように語られましたか。

ルカ福音書11:27-32(2017年1月29日)
(1)イエスを宿したマリヤよりもっと幸せな祝福された者となる道はなんですか。
(2)御霊に導かれて神のみことばを受け入れた信者の内にはどんなお方が宿っていますか。
(3)さばきの日には、シェバの女王やニネベの人たちが立ち上がってこの時代(イエスの時代)の人々をさばくのはなぜですか。


ルカ福音書11:14-26(2017年1月22日)
(1)イエスがバプテスマを受けられた後、主の行動を見て、身内の者たちは、どのように誤解しましたか。
(2)悪霊のえさとなるものにはどういうものがありますか。
(3)18章の取税人の信仰は、どのように悪霊にスキを与えない信仰ですか。

ルカ福音書11:5-13(2017年1月15日)
(1)神様が愛なるお方なら、なぜ私たちが願うように、祈りにすぐ答えて下さらないのですか。
(2)13節に「あなたがたも、悪い者ではあっても」とあるが、この言葉をどう受け取るべきですか。
(3)マタイ7章11節の「良いもの」がルカ11章13節では「聖霊」になっているのはどうしてですか。

ルカ福音書11:1-4(2017年1月8日)
(1)私たちはどうして、神の御子イエス様と同じ呼びかけで「父よ」と祈れるのですか。
(2)「御国が来ますように」とは具体的に私たちにどう適用できますか。
(3)「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します」とはどういう意味ですか。


ルカ福音書10:38-42(2016年12月18日)
(1)前回の良きサマリヤ人の譬と今日の学びの個所はどのように誤解されやすいのですか。
(2)「主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」とのマリヤのどんな態度を学ぶべきですか。
(3)「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」とのその一つは何ですか。

ルカ福音書10:25-37(2016年12月11日)
(1)律法の専門家がイエスを試みようとした動機は何ですか。
(2)人は律法を守ることによって救われる(永遠のいのちを得る)ことができますか。
(3)良きサマリヤ人とは誰のことですか。自分の救いの証しを紹介できますか。

ルカ福音書10:21-24(2016年12月4日)
(1)21節の「幼子たち」とはどういう特徴を持った者たちですか。
(2)この世の賢い者に何が「覆い」となって隠されているのですか。
(3)キリストは「神のかたち」「完全な神の現れ」であるとはどういうことですか。

ルカ福音書10:17-20(2016年11月27日)
十字架のみわざで名が天に書き記された
(1)70人は何を喜んで帰って来ましたか。
(2)神に召された私たちを「神が義と認めている」のはどんな事実に基づいてですか。
(3)私たちの名が天に書き記されている事実を消すことができる何かがありますか。

ルカ福音書10:1-16(2016年11月20日)
70人が遣わされる
(1)70人の弟子たちが遣わされたのは、どちらの方向ですか。それはなぜですか。
(2)マタイ10章16節「蛇のように賢く、はとのように素直に」の意味を説明して下さい。
(3)10章6節の「平安の子」とエペソ2章3節の「怒りの子」の意味をそれぞれ説明して下さい。

ルカ福音書9:57-62(2016年11月13日)
弟子になることを妨げるもの
(1)57節の「ある人」(律法学者)の申し出を主はどうして受け入れなかったのですか。
(2)59節の「二番目の人」のどこに弟子の心構えとして問題がありますか。主は何と勧めましたか。
(3)61節の「三番目の人」の発言のどこに弟子の心構えとして問題がありますか。

ルカ福音書9:49-56(2016年11月6日)
天からの審判の火をお受けになったお方
(1)49節のヨハネの発言の何に問題ありましたか。
(2)拒絶する者に天から審判の火を呼び下す考え方は、旧約聖書的に律法的に、正しいですか。
(3)拒絶する者に対する審判の火はどなたに呼び下されましたか。それはなぜですか。

ルカ福音書9:43-48(2016年10月30日)
一番小さい者が一番偉い
(1)弟子たちは、主は最終的にはイスラエルの王として迎えることになると考えるようになっていた。この誤解を解くために主は弟子たちに何と予告されましたか。
(2)イエスを信じる者には、もはや触れたくない場所というものは1つもないのはなぜですか。
(3)「あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです」(48節)とはどういう意味ですか


ルカ福音書9:37-43(2016年10月23日)
山の下の出来事
(1)山のふもとで、どんな問題が起こっていましたか。
(2)神の国の権威を授けられていた弟子たちがいやすことができなかったのはなぜですか。
(3)父親が「信じます」と言った信仰はどんな信仰ですか。

ローマ人への手紙8:28-29(2016年10月16日)
すべてのことを働かせて益としてくださる

ルカ福音書9:27-36(2016年10月9日)
ただイエスだけ
(1)27節の「神の国を見る」は、いつ、どこで、どのように実現しましたか。
(2)変(へん)貌(ぼう)の山での出来事は、やがて現れる神の国(千年王国)の特徴をすべて縮図のようなかたちで  見せている。簡単に説明して下さい。
(3)変(へん)貌(ぼう)の山で弟子たちに、最期に「見えたのはイエスだけ」であったとは、何を教えていますか。

ルカ福音書9:23-27(2016年10月2日)
日々自分の十字架を負うとは
(1)イエスのくびきを負うことは、重荷を負うことになりますか。
(2)イエスについて行きたいと思う者は、何を捨て、日々何を負ってついて行くのですか。
(3)日々の生活で自分の十字架を負う具体的経験例を挙げて下さい。

ルカ福音書9:18-22(2016年9月25日)
神のキリスト
(1)五千人の給食の奇跡の後、主と弟子たちはどこへ、どういう目的で向かいましたか。
(2)「人のキリスト」と「神のキリスト」の違いを説明して下さい。
(3)「神のキリスト」と信仰告白できた弟子たちは、だれにも話さないように戒めて命じられたのはなぜですか。

ルカ福音書9:10-17(2016年9月18日)
五千人の給食
(1)伝道旅行から帰った弟子たちは何をしましたか。
(2)イエスと弟子たちがベツサイダに退かれたのはなぜですか。
(3)弟子たちは「からっぽの管」であるとはどういうことですか。

ルカ福音書9:1-9(2016年9月11日)
イエス弟子たちを遣わす
(1)ヘブル2:3-4によれば、当時の弟子たちのメッセージは「そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力  あるわざ」によってあかしされたとある(ヘブル2:3-4)。今日の福音宣教にも奇跡的な「いやし」(しるしと  不思議)が伴うことが、必ず必要なことだと言えますか。
(2)神の国とは「神の支配」の意味。神の国の福音を伝える者の心得を言ってください。
(3)ヘロデはなぜイエスに会ってみようとしたのですか。

ルカ福音書8:40-56(2016年8月28日)
長血の女の病をいやし、死にかけていたヤイロの娘の病を直す
(1)会堂管理者ヤイロの娘の病状はどうでしたか。イエスに何をお願いしましたか。
(2)12年間長血をわずらった女は、どのようにして、たちどころに出血が止まりましたか。
(3)多くの聖書注解者は、ヤイロの娘は死んでいたのが生き返らされたと解説しています。娘は死んでいたのですか、それとも眠っていたのですか。

ルカ福音書8:22-39(2016年8月21日)
悪霊につかれたゲラサ人のいやし
(1)イエスをメシヤ(救い主)と信じていた弟子たちの信仰は何が欠けていましたか。
(2)悪霊を追い出されたゲラサ地方の民衆はイエスに対して何を願いましたか。
(3)イエスにお供をしたいとしきりに願った人に対して何と言って家に帰されましたか。

ルカ福音書8:16-21(2016年6月26日)
聞き方に注意しなさい
(1)あかりをつけてから、それを「器で隠す」または「寝台の下に置く」とはどういう意味ですか。
(2)イエスの教えに対して、聞き方に注意しないとどういう結果になりますか。
(3)イエスにとって、本当の「母、兄弟たち」とはどういう人たちですか。

ルカ福音書8:4-15(2016年6月19日)
聞く耳のある者は聞きなさい
(1)なぜ主イエスは、大ぜいの人の群れにはたとえを用いて話されたのですか。
(2)なぜ主イエスは、たとえの最後に「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれたのですか。
(3)なぜ主イエスは、弟子たちにだけ詳しく説明されたのですか。

ルカ福音書8:1-3(2016年6月12日)
目立たない働きの重要性
(1)主と弟子たちの生活の必要はどのようにまかなわれたのですか。
(2)なぜ女たちは主と主の弟子たちを背後で助ける奉仕をする人になったのですか。
(3)あなたは「目立つ人」と「目立たない背後の奉仕をする人」のどちらになりたいですか。

ルカ福音書7:36-50(2016年6月5日)
二人の債務者のたとえ
(1)ある罪深い女はどのようにして「知恵の正しさが証明された実例」と言えますか。
(2)ここの罪深い女はどうしてイエスを愛する振る舞いをしたのですか。
(3)パリサイ人シモンはどうしてイエスを愛する振る舞いをしていないのですか。

ルカ福音書7:24-35(2016年5月29日)
「神の国で一番小さい者」でも彼よりすぐれている
(1)7章27節とその引用文であるマラキ3章1節はどう違っていますか。それは何を意味しますか。
(2)28節の「神の国で一番小さい者でも、ヨハネよりもすぐれている」とはどういう意味ですか。
(3)35節の「知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します」とはどういう意味ですか。

ルカ福音書7:18-23(2016年5月22日)
先駆者ヨハネの疑惑と信頼
(1)この時バプテスマのヨハネはどこにいましたか。
(2)ヨハネはイエスについてなぜ疑惑を持ちましたか。つまずきの原因は何ですか。
(3)ヨハネに対するイエスのお答えは何でしたか。

ルカ福音書7:11-17(2016年5月15日)
やもめのひとり息子を生き返らせた主
(1)やもめの母親にとってどんな悲しいことがありましたか。
(2)私たちは以前どのような意味で死人でしたか。どのように新しいいのちを持つに至りましたか。
(3)イエスはどのように死人をよみがえらせましたか。

ルカ福音書7:1-10(2016年5月8日)
主イエスを驚かせた「りっぱな信仰」
(1)このカペナウムの百人隊長はどんな人でしたか。どんな必要がありましたか。
(2)マタイ福音書8章では、百人隊長は直接イエスのところに行ったことになっている。このルカ福音  書では、長老たちを遣わしたことになっている。どのように整合がとれますか。
(3)この百人隊長の「主イエスに対する信仰」はなぜイエスを驚かせましたか。

ルカ福音書6:39-49(2016年5月1日)
「盲人という偽善者」と「賢い人・愚かな人」
(1)盲人はどうして盲人の手引きができないのですか。
(2)木とその実の関係はどのように重要ですか。
(3)賢い人はなにを土台としていますか。愚かな人の土台は何ですか。

ルカ福音書6:27-38(2016年4月24日)
主イエスの秘密兵器:愛
(1)人に福音を伝えることにおいて最も有効な武器は何ですか。
(2)35節によれば真の「キリスト者特有のもの」とは何ですか。
(3)「法的な赦し」と「親としての赦し」の違いを説明して下さい。

ルカ福音書6:17-26(2016年4月17日)
福音を伝える弟子たちの心構え
(1)マタイの山上の垂訓とこのルカ6章の教えはどのように違いますか。
(2)「心の貧しい者は幸いです」と「(あなたがた)貧しい者は幸いです」とどう違いますか。
(3)「あなたがた富む者」はなぜ哀れなのですか。

ルカ福音書6:12-16(2016年4月10日)
12弟子が使徒として選ばれる
(1)12節でイエスが祈るために山に行き、「神に祈りながら夜を明かされた」のはなぜですか。
(2)主イエスが十二弟子を選ばれた「3つの目的」を述べて下さい。
(3)ペテロはどういう人でしたか。どのようにして主の弟子として訓練されましたか。

ルカ福音書6:1-11(2016年4月3日)
安息日を制定された神のみこころ
(1)1節の「ある安息日に」とは、(ギリシャ語テキストによれば)いつの安息日のことですか。
(2)ダビデが律法で禁じられている供えのパンを取って食べたことが罰せられなかったのはなぜですか。
(3)イエスが安息日に「手のなえた人」をいやした行為はなぜ安息日の律法に違反しないことですか。

マタイ福音書27:62-28:15(2016年3月27日)
主イエスの復活と私たちとの関係
(1)ユダヤ教の指導者たちはなぜイエスの墓を監視する番兵を置いてほしいと頼んだのですか。
(2)ユダヤ教の指導者たちは番兵たちを買収してどんな作り話をしましたか。
(3)イエスの復活は私たちキリスト者にとってどんな関係がありますか(現在と将来について)。

ルカ福音書5:27-39(2016年3月20日)
「人の子」はなぜ罪人を招かれるのか
(1)レビ(別名マタイ)はイエスに従った結果として、どんな大きな実を結びましたか。
(2)レビが自分の家でイエスのために「大ぶるまい」をした理由は何ですか。
(3)「ユダヤ教とキリスト信仰」、「律法と恵み」は互いに相容れられないことを何で教えていますか。

ルカ福音書5:17-26(2016年3月13日)
罪を赦す権威を持っておられる主
(1)なぜパリサイ人と律法の教師たちも、イエスがおられるところに来ていたのですか。
(2)主イエスに「友よ」と呼ばれた人はどういう人ですか。
(3)「神をけがす」3つの場合を挙げてください。今日の箇所はどの場合ですか。

ルカ福音書5:12-16(2016年3月6日
わたしの心だ。きよくなれ
(1)12節の原文にある「見よ」にはどういう意味がありますか。
(2)全身ツァラアトの人をきよめることは、頼まれたから仕方なくなされた行為でしたか。
(3)ツァラアトの人に「だれにも話してはいけない」と命じられたのはなぜですか。

ルカ福音書5:1-11(2016年2月28日)
充実した人生への道
(1)5章8節で主の足もとにひれ伏す前までのペテロは、イエスをどういうお方と考えていましたか。
(2)イエスに「深みに漕ぎ出して、…」と言われた時、ペテロはなぜ断らなかったのですか。
(3)自分の罪深さを自覚したペテロは、なぜ聖いお方の前にとどまり続けることができたのですか。

ルカ福音書4:31-44(2016年2月21日)
力を証明される人の子
(1)カペナウムの人々は主イエスの教えに驚きました。それはなぜですか。
(2)シモンのしゅうとめは熱病からいやされた後、どうしましたか。
(3)「神の国の福音」とはどういう意味ですか。どうしたら「神の国の福音」にあずかれますか。

ルカ福音書4:14-30(2016年2月14日
教えによる準備
(1)13節と14節の間では、約1年が経過しています。その間、どんな出来事がありましたか。
(2)主がナザレの会堂でイザヤ61章1-2節を朗読され、ご自分がどなたであると宣言されましたか。
(3)ナザレの人々はなぜイエスに激怒して、がけのふちから投げ落とそうとしたのですか。

ルカ福音書4:1-13(2016年2月7日
試みによる準備
(1)主が荒野に行ったのは、誰に導かれてのことですか。何のため荒野に導かれたのですか。
(2)「この石に、パンになれ」との誘惑に対して、どのように勝利されましたか。
(3)今日、私たちも悪魔の誘惑に対して勝利する秘訣は何であると、エペソ6章で教えられますか。

ルカ福音書3:21-38(2016年1月31日
働きの準備をされる人の子イエス
(1)罪のないお方が、なぜ「悔い改めのバプテスマ」をヨハネから受ける必要がありましたか。
(2)ルカ福音書で繰り返し、イエスが「祈られた」と記されているのはなぜですか。
(3)ルカ福音書のイエスの系図によれば、メシヤとしての預言をすべて成就していると言えますか。


ルカ福音書3:15-20(2016年1月24日)
聖霊と火のバプテスマ
(1)バプテスマのヨハネは、自分をキリストと比べてどのような存在であると言いましたか。
(2)ヨハネの弟子たちはヨハネの死後、どのような問題を起こす存在となっていましたか。
(3)「聖霊のバプテスマ」と「火のバプテスマ」の違いを説明してください。

ルカ福音書3:1-14(2016年1月17日)
罪が赦されるための「悔い改め」
(1)大祭司は終身職であったはずなのに、なぜ二人の大祭司がいるのですか。
(2)「悔い改め」によって与えられる「罪の赦し」の根拠は何ですか。
(3)8節の「こんな石ころ」とは誰のことを指していますか。

ルカ福音書2:40-52(2016年1月10日)
イエスの少年時代
(1)幼子イエスは神の子の知恵に満ちていたのですか。それとも普通の人の子として成長したのですか。
(2)イエスが12歳の時、どんな出来事がありましたか。その時イエスはどこで何をしていたのですか。
(3)ナザレに帰って、「両親に仕えられた」とはどんな意味ですか。

ルカ福音書2:21-39(2016年1月3日)
幼子イエスの割礼と奉献に立ち会ったシメオンとアンナ
(1)幼子イエスは誕生後、どのような儀式を守り行いましたか。
(2)シメオンが幼子イエスを見た時、どのような預言的なことを語りましたか。
(3)女預言者アンナは人々に幼子イエスについて何を語ったと思いますか。

ルカ福音書2:1-20(2015年12月20日)
人の子のご降誕
(1)メシヤはなぜベツレヘムでお生まれになったのですか。
(2)御使いは羊飼いたちにダビデの町で生まれた方はどんな方であると告げましたか。
(3)主の生涯と働きは、どのように神に栄光を、地上の御心にかなう人々には平和がもたらされましたか。

ルカ福音書1:57-80(2015年12月27日)
先駆者ヨハネの誕生とザカリヤの預言
(1)ザカリヤ夫婦は、どうして子どもの名前をヨハネにしたのですか。
(2)聖霊に満たされたザカリヤの預言の内容は、どんなことで神を賛美していますか。
(3)旧約聖書における主(ヤハウェ)は、新約聖書においてはどなたを指していますか。

ルカ福音書1:26-56(2015年12月13日)
人の子の誕生が告知される
(1)御使いはマリヤを礼拝しましたか、また「恵みに満ちた方」ではなく、何と呼ばれましたか。
(2)マリヤを「神の母」と呼んでいる個所は聖書にありますか。
(3)「マリヤは罪のない人間だった」との教えが間違っているのはどの聖句から分かりますか。

ルカ福音書1:5-25(2015年12月6日)
先駆者ヨハネ誕生の告知
(1)ザカリヤとエリサベツはどういう人たちでしたか。
(2)バプテスマのヨハネはどういう3点で「主の御前にすぐれた者」となるのですか。
(3)16節と17節によれば「主」とはどういう方を意味していますか。

ルカ福音書1:1-4(2015年11月29日)
序文:ルカによる福音書の目的と執筆方法
(1)著者のルカはどのような人物でしたか。
(2)執筆の動機は何ですか。
(3)執筆に用いた方法は何でしたか。2つ挙げて下さい。

使徒の働き13:38-41(その2)(2015年11月22日)
ピシデヤのアンテオケにおけるパウロの説教第3区分
(1)どうしてイエスによって「罪の赦し」が得られるのですか。
(2)イエスを「信じる者はみな」、「モーセの律法」から解放される(義とされる)のはなぜですか。
(3)「イエスを信じる」とは、具体的にどういうことですか。
(4)パウロは聴衆に向かってどのような警告をしていますか。

使徒の働き13:38-41(2015年11月15日)
ピシデヤのアンテオケにおけるパウロの説教第3区分
(1)どうしてイエスによって「罪の赦し」が得られるのですか。
(2)イエスを「信じる者はみな」、「モーセの律法」から解放される(義とされる)のはなぜですか。
(3)パウロは聴衆に向かってどのような警告をしていますか。

ヨハネ福音書21:15-25(2015年11月8日)
ペテロの回復と殉教の予告
(1)ペテロは失敗の経験から何を学びましたか。
(2)主イエスを愛し慕うペテロに、その愛の証拠として、何をするように命じましたか。
(3)ペテロの殉教はどうして神の栄光を現すことになるのですか。

ヨハネ福音書21:1-14(2015年11月1日)
ガリラヤで弟子たちに現れたイエス
(1)人の魂を救いに導くのに必要なことは何ですか。
(2)専門家である漁師たちが一晩中漁をしたのに何もとれなかったが、主に従って網を下ろしたら大  漁だったことは、今日の私たちに何を教えますか。
(3)主は復活の日から昇天の日までの40日間、弟子たちにずっと現れ続けなかったのはなぜですか。

ヨハネ福音書20:24-31(2015年10月25日)
信じない者にならないで信じる者になりなさい
(1)トマスが責められるべき点は何ですか。
(2)8日後にトマスも含めて弟子たちが戸が閉じられている室内に主が来られて何と言われましたか。
(3)トマスが主に向かって「私の主、私の神」と言ったことばを主は正しましたか。なぜですか。


ヨハネ福音書20:19-23(2015年10月18日)
弟子たちへの顕現
(1)主の復活後、「平安があなたがたにあるように」という御言葉はどのような新しい意味が加わりましたか。
(2)主が弟子たちに息を吹きかけたのはなぜですか。なぜその必要がありましたか。
(3)罪の赦しの福音はどのように伝えるべきですか。それには何が必要不可欠ですか。


ヨハネ福音書20:11-18(2015年10月11日)
マグダラのマリヤへの顕現
(1)「しかし、マリヤは」と表現されているのはなぜですか。
(2)マリヤに新たに示される主を知る方法はどういうものですか。
(3)主が「わたしたちの父」とは言われず、「わたしの父またあなたがたの父」と言われたのはなぜですか。

ヨハネ福音書20:1-10(2015年10月4日)
主が復活された証拠
(1)他の福音書によれば、墓に行ったのはマグダラのマリヤだけではないのに、なぜヨハネは彼女のことしか記していないのですか。
(2)ペテロとヨハネが墓に向かったのはなぜですか。
(3)8節で、もうひとりの弟子ヨハネは、何を「見て、信じた」のですか。

ヨハネ福音書19:38-42(2015年9月27日)
ヨセフの墓への埋葬
(1)ユダヤ人を恐れていたヨセフが大胆に行動できるようになった理由は何ですか。
(2)ニコデモがヨセフと行動を共にするようになったのはどうしてですか。
(3)キリスト者は死者の埋葬についてどのように考えるべきですか。

ヨハネ福音書19:28-37(2015年9月20日)
完了したイエス・キリストのみわざ
(1)神の御子であるイエスが、「神から捨てられた状態」になったのはいつのことですか。
(2)30節で主イエスが「完了した」と言われたのは、何が完了したという意味ですか。
(3)イエスは真の意味において過越の小羊であることを出エジプト記の聖句から説明して下さい。


ヨハネ福音書19:17-27(2015年9月13日)
あなたのための十字架刑
(1)主イエスはその両手、両足を十字架に釘づけられた。その肉体的な苦しみはどんなでしたか。
(2)罪状書きは「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書かれた。それは正しい表現ですか。
(3)千年も前に書かれた詩篇22篇18節の預言が成就されました。これから何が分かりますか。


ヨハネ福音書19:1-16(2015年9月6日)
ピラトの判決:無罪、しかし有罪
(1)ピラトはなぜ罪を認められないイエスをむち打ちにしたのですか。
(2)イエスの頭にいばらの冠をかぶらせたのは何を象徴し意味していますか。
(3)ユダヤの祭司長たちが「カイザルのほかには、私たちに王はありません」との発言はどういう意味ですか。

ヨハネ福音書18:28-40(2015年8月30日)
総督ピラトの前のイエス
(1)ユダヤ人たちはイエスをどのような罪があると総督ピラトに告発しましたか(ルカ23:2参照)。
(2)イエスの王国は「この世のものではない」(36節)と語られました。では、どのようなものですか。
(3)38節で総督ピラトが「私は、あの人には罪を認めません」と言うのはなぜですか。

ヨハネ福音書18:12-27(2015年8月23日)
ペテロの失敗を教訓とする
(1)第1回目から第3回目までのペテロの否認は、それぞれだれに対してですか。
(2)ペテロが3回も主を否認するという失敗した原因はどこにありますか。
(3)3回目の否認の後、ペテロはどのような行動を取りましたか。その結果はどうなりましたか。

ヨハネ福音書18:12-24(2015年8月16日)
主イエスの驚嘆すべきへりくだり
(1)主イエスに対して、なぜ宗教裁判だけでなく民事裁判も必要でしたか。
(2)大祭司がイエスに、「弟子たちのこと、また、教えのこと」について尋問したのはなぜですか。
(3)主は、自ら進んで召喚され、侮辱され、犯罪人として扱われました。それはなぜですか。

ヨハネ福音書18:1-11(2015年8月9日)
彼らはあとずさりし、そして地に倒れた
(1)ユダはだれを引き連れてゲッセマネの園に来ましたか。その人たちは何を持って来ましたか。
(2)主が「それはわたしです」と言われた時、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。どうして倒れたのですか。
(3)十一人の弟子たちが主と一緒に捕らえられなかったのはなぜですか。

ヨハネ福音書17:20-26(2015年8月2日)
すべての信じる者のために祈るイエス
(1)20節の「彼らのことばによってわたしを信じる人々」とはどういう人々を意味していますか。
(2)世界教会運動がしている一致運動と21節のみことばが意味している一致はどう違いますか。
(3)御父はまるで、ご自身のひとり子を扱われるように、私たち信者を扱われるのはなぜですか。

ヨハネ福音書17:9-19(2015年7月26日)
大祭司としての主イエスの祈り(2)
(1)「この世」と「主のもの」との違いを説明して下さい。
(2)11節から15節で、主が祈っておられるのはどんなことですか。
(3)16節から19節で、主が祈っておられるのはどんなことですか。

ヨハネ福音書17:1-8(2015年7月19日)
大祭司としての主イエスの祈り
(1)どのようにしたら永遠のいのちを得られると、主は語っておられますか。
(2)十字架によって現された御父の栄光はどんなものですか。4つ挙げて説明して下さい。
(3)主が弟子たちを信頼する根拠になっているものは何ですか。なぜ信頼できるのですか。

ヨハネ福音書16:25-33(2015年7月12日)
世にあっては艱難があるが勇敢でありなさい
(1)なぜ、主が「弟子たちに代わって父に願ってあげよう」とは言わなくてよいのですか
(2)主イエスは、この世の支配者である悪魔に、どのように勝利しましたか。
(3)キリスト者はなぜ、患難の多いこの世にあっても平安を持ち、勇敢であることができるのですか。

ヨハネ福音書16:16-24(2015年7月5日)
あなたがたの悲しみは喜びに変わる
(1)「あなたがたの悲しみは喜びに変わる」その時がいつなのか、3つの解釈を述べて下さい。
(2)3つの解釈のうち、決め手となるのは何ですか。
(3)主イエスの御名によって父に求めるものは、どうして与えられるのですか。その根拠は何ですか。

Uテモテ4:7-8(2015年6月28日)
人類に対する三種類のさばき
(1)救いに関わるさばき
(2)報酬に関わるさばき
(3)不信者に対するさばき

ヨハネ福音書16:8-15(2015年6月21日)
御霊はすべての真理に導き入れてくださる
(1)罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせるとはどういう意味ですか。
(2)世の誤りを認めさせることは、使徒の働きの中でどのように成就していますか。
(3)真理の御霊は、人をどのように「すべての真理に導き入れ」ますか。

ヨハネ福音書16:1-7(2015年6月14日)
迫害があっても助け主が共にいる
(1)主を信じないユダヤ人たちはなぜ主の弟子たちを会堂から追放し殺すようなことをするのですか。
(2)弟子たちはひとりとして、主に「どこに行くのですか」と熱心に尋ねなかったのはなぜですか。
(3)主が去って行くことは、どうして弟子たち(今日の私たち)にとって益と言えるのですか。

ヨハネ福音書15:18-27(2015年6月7日)
世の憎しみを予告するイエス
(1)なぜ「世はあなたがたを憎む」と言われたのですか。
(2)「わたしが来て彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかった」(22節)とはどういう意味ですか。
(3)「真理の御霊」はだれについてあかしをするのですか。

ヨハネ福音書15:12-17(2015年5月31日)
主が友と呼んで下さる特別の恵み
(1)「主が愛したように、弟子たちが互いに愛し合うという戒め」を与えられたのはなぜですか。
(2)「しもべ」と「友」の違いは何ですか。主が弟子たちを友と呼んだのはなぜですか。
(3)弟子たちが主を選んだのではなく、主があなたがたを選び、任命したと語られたのはなぜですか。

ヨハネ福音書15:7-11(2015年5月24日)
喜びにあふれた力強い生活
(1)祈り・願いがかなえられる秘訣はなんですか。
(2)主が私たちに対する愛はどれほどのものですか。何と同じですか。
(3)私たちの喜びが満たされる秘訣は何ですか。

ヨハネ福音書15:1-6(2015年5月17日)
まことのぶどうの木であるイエス
(1)主がご自身のことを「(まことの)ぶどうの木」と示されたのはなぜですか。
(2)私たちが経験的に「主にとどまる」には、具体的にどうすればよいですか。
(3)主にとどまっていなければ「投げ捨てられて」「人々は火に投げ込む」とはどういう意味ですか。

ヨハネ福音書14:27-31(2015年5月10日)
弟子に平安を残されるイエス
(1)主が弟子たちに与える「主の平安」は、世が与える平安とどう違いますか。
(2)「父はわたしよりも偉大な方だからです」(28節)をエホバの証人はどう解釈していますか。
(3)弟子たちは主が父のもとに行くことを喜ぶべきだ、と言われたのはどういう意味ですか。

ヨハネ福音書14:21-26(2015年5月3日)
御父と御子がともに住んでくださる人
(1)主が弟子たちだけに限定された「ご自身を現す」のはどのような方法ですか。
(2)「主を愛する人は、主のことばを守る」その結果、その人にはどんなことが起こりますか。
(3)「助け主」として私たちに遣わされた聖霊は、どのような助けを与えてくださいますか。

ヨハネ福音書14:18-21(2015年4月26日)
あなたがたを捨てて孤児にはしない
(1)「あなたがたのところに戻って来る」との3つの解釈を説明して下さい。
(2)「世はわたしを見なくなる。しかし、あなたがたはわたしを見る」とは、どういう意味ですか。
(3)主をよく知る人になるには、どうすればよいですか。21節から答えてください。

ヨハネ福音書14:12-17(2015年4月19日)
もうひとりの助け主の約束
(1)「それよりもさらに大きなわざ」とはどんなわざのことですか。
(2)「イエスの名によって求める」とはどういう意味ですか。
(3)聖霊はなぜ「真理の御霊」と呼ばれるのですか。

ヨハネ福音書14:4-11(2015年4月12日)
道であり、真理であり、いのちであるイエス
(1)「イエスが道である」とはどういう意味ですか。どうしてイエス以外に道はないのですか。
(2)「イエスが真理(アレセイア)である」とはどういう意味ですか。
(3)「イエスがいのちである」とはどういう意味ですか。

ローマ人への手紙6:1-11(2015年4月5日)
キリストの十字架(死)と復活を適用する
(1)私たちはどのようにして「罪に対して死んだ」者となりましたか。
(2)「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられた」(6節)との意味を説明して下さい。
(3)11節の「思いなさい」とはどのような事実に基づいてのことですか。

ヨハネ福音書13:36-14.3(2015年3月29日)
ペテロの否認を予告/場所を備えに行く
(1)「主のためにはいのちも捨てます」と言うペテロは何が問題でしたか。何が欠けていましたか。
(2)「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く」とは具体的にどういう意味ですか。
(3)「また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます」とはいつのことを語られたのですか。

ヨハネ福音書13:31-35(2015年3月22日)
栄光があらわにされることと新しい戒め
(1)「十字架の贖罪の死」は、どうして主の地上のみわざの「最も栄光ある部分」と言えるのですか。
(2)主が与えられた「新しい戒め」はどういう意味で新しい戒めですか。2点挙げて下さい。
(3)主のみことばによれば、「キリストの弟子であるしるし」は何ですか。

ヨハネ福音書13:21-30(2015年3月15日)
裏切り者にならないために
(1)愛する弟子のひとりに裏切られる時が来た時、主の心はどのようでしたか。
(2)悪魔サタンはどのように漸(ぜん)進(しん)的(てき)な段階で人の心をそそのかして「主を裏切る者」にさせますか。
(3)悪魔に対する唯一の安全策は何ですか。聖句で答えて下さい。

ヨハネ福音書13:12-20(2015年3月8日)
ご自身の模範に従うよう弟子を教える
(1)主は、文字どおりに水でお互いの足を洗い合うように、と言われたのですか。
(2)「互いに足を洗い合う」という実物教育の模範の意味を、聖句に基づいて説明して下さい。
(3)20節のことばはなぜ語られたのですか。

ヨハネ福音書13:1-11(2015年3月1日)
弟子たちの足を洗うイエス
(1)サタンが私たちを誘惑するのによく使う武器は何ですか。
(2)洗足の行為が「マルコ福音書」にではなく、「ヨハネ福音書」に書かれているのはなぜですか。
(3)水浴と洗足の霊的意味の違いを説明してください。

ヨハネ福音書12:44-50(2015年2月22日)
不信仰に対する警告(講話のまとめ)
(1)44-45節での主イエスの発言によって、主は父なる神と一体であることがわかりますか。
(2)47節の「わたしはよをさばくために来たのではなく、世を救うために来た」とのみことばは、主が今後も永遠にさばかないことを意味していますか。
(3)「父の命令が永遠のいのちである」とはどういう意味ですか。

主日礼拝前半(賛美・お祈り・バン裂き)(2015年2月15日)
ヨハネ福音書12:34-43(2015年2月15日)
信じなかった大半のユダヤ人
(1)主が「上げられる」といわれたことは、「キリストはいつまでも生きている」と言われている旧約聖書の預言と矛盾していると考えたユダヤ人たちは、どんな理解が欠けていましたか。
(2)あるキリスト者はキリストの再臨についての真理を認めようとしない。あなたはどうですか。
(3)42節の「指導者たちの中にもイエスを信じる者」は本物のキリスト者ですか。何が問題ですか。

ヨハネ福音書12:27-33(2015年2月8日)
間近に迫る死に直面するイエス
(1)「今わたしの心は騒いでいる」と言われる「主の心の動揺」は何が原因ですか。
(2)27-28節の主の祈りはゲッセマネの園での祈りとどのように類似していますか。
(3)主の十字架の死によってこの世の支配者サタンはどのように敗北し頭を砕かれましたか。キリスト者はこれをどのように適用すべきですか。

ヨハネ福音書12:20-26(2015年2月1日)
「イエスに会おうとしたギリシャ人」と「一粒の麦のたとえ」
(1)ギリシャ人たちがイエスに会いたいと言って来た時、十二弟子たちの心境はどんなでしたか。
(2)「人の子が栄光を受けるその時が来ました」(23節)とはどういう意味ですか。
(3)「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは1つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(24節)はどういう意味ですか。なぜこのように語られたのですか。

ヨハネ福音書12:12-19(2015年1月25日)
勝利の入城
(1)イエスのエルサレム入城を大声で「ホサナ」と叫んで出迎えた群衆の動機はどんなでしたか。
(2)なぜ主イエスは「馬」ではなく「ろばの子」に乗って入城されたのですか。
(3)イエス・キリストの生涯の中で、この段落の行動が非常に特異なもの「ユダヤ人全体の注目を集めるもの」であるのはなぜですか。

主日礼拝前半(賛美・お祈り・バン裂き)(2015年1月18日)
ヨハネ福音書12:1-11(2015年1月18日)
ベタニヤで香油を注がれるイエス
(1)自らを危険にさらすことになるのに、なぜ主イエスはベタニヤに来られたのですか。
(2)マリヤが非常に高価な、純粋なナルドの香油をイエスに注いだ動機は何ですか。
(3)十二弟子にも選ばれたユダが、なぜ僅かばかりのお金でイエスを売り渡そうとしたのですか。

ヨハネ福音書11:47-57(2015年1月11日)
私たちの身代わりに死なれる救い主
(1)現代の無神論者や懐疑論者は、イエスの奇跡を、ペテンであるとか、錯覚であると言うのは論理的ですか。
(2)すべての人がイエスを信じるようになると、どうして「ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる」と言えるのですか。
(3)神様は当時の大祭司カヤパを用いて「イエスが民の代わりに死ぬことによって、国民全体が滅びない」と発言させました。イエスは何のために身代わりに死なれるのですか。

ヨハネ福音書11:38-46(2015年1月4日)
第七番目のしるし:ラザロの復活
(1)マルタは、主がラザロを今よみがえらせることを信じていましたか。そうだとどうして分かりますか。
(2)主イエスがラザロをよみがえらせる前に声を出して父なる神に祈られたのはなぜですか。
(3)主が「死人のラザロ」に向かって「ラザロよ。出て来なさい」と大声で叫ばれたのはなぜですか。

ヨハネ福音書11:30-37(2014年12月28日)
ラザロの墓で涙を流すイエス
(1)悲しんでいる人に対して同情心または親切心を向けることは、どのような報いを与えられることになりましたか。
(2)主が「霊の憤りを覚え」たのは誰に対してのものでしたか。なぜですか。
(3)イエスが涙を流されたのはなぜですか。それは主がどういうお方であることを意味していますか。

クリスマス礼拝・ルカ福音書2:1-20(2014年12月21日)
救い主のご降誕/御使いと羊飼いたち
(1)神の救いのご計画を進めるために、神は皇帝アウグストを用いて何をさせましたか。
(2)主の来臨の栄光を最初に目撃したのが、ユダヤ教の指導者たちではなく、ユダヤ教で罪人(安息日違反者)とされていた羊飼いただったという事実は、何を私たちに教えますか。
(3)2章11節から、お生まれになった方はどういうお方か、この方の三面を説明してください。

ヨハネ福音書11:17-29(2014年12月14日)
今の問題の解決者と信じるか
(1)マルタは、主イエスが神であられるとはまだわかっていないことがどの言葉からわかりますか。
(2)終わりの日のよみがえりの時に、信者は2グループに分けられることはどうしてわかりますか。
(3)イエスこそ、預言者たちが予告していた「神の子キリスト」であるとマルタの信仰告白が変わったのはなぜですか。

ヨハネ福音書11:7-16(2014年12月7日)
イエスのベタニヤへの旅
(1)主が「もう一度ユダヤに行こう」と言われた時、弟子たちが恐れを感じたのはなぜですか。
(2)聖書でキリスト者の死が「眠りについた」と表現されるのはなぜですか。
(3)ラザロが死んだというのに、主は「わたしは……喜んでいます」と言われたのはなぜですか。

ヨハネ福音書11:1-6(2014年11月30日)
あなたが愛しておられる者が病気です
(1)ベタニヤのマリヤは、どんなことをしたことで有名でしたか。
(2)「あなたが愛しておられる者が病気です」との伝言は、悩みのうちにあるキリスト者の模範となるのはどんな点ですか。
(3)神が人に病気などの「災い」を許容される目的は何ですか。

ヨハネ福音書10:31-42(2014年11月23日)
そのみわざによってキリストと証明されたイエス
(1)ユダヤ人たちがイエスを石打ちにしようとしたのはなぜですか。
(2)詩篇82篇で「神々」と呼ばれたのはどういう人たちですか。なぜそのように呼ばれたのですか。
(3)主の言われたことが信じられなくても、主のわざを信用したら結果はどうなりますか。

ヨハネ黙示録1:5-6(2014年11月16日)
神の国(天の御国)とは
このメッセージは、去る11月13-14日に奥多摩福音の家で行われたNTT・KDDI合同聖書研究会の一泊研修会でなされたものです。

ヨハネ福音書10:19-30(2014年11月9日)
救いの確かさの根拠
(1)ユダヤ人たちの間にまた分裂が起こったのはなぜですか。
(2)ことばと奇跡によって証ししたのに、主をメシヤと信じなかったのはなぜですか。
(3)羊のように弱い私たちが「決して滅びることがない」と言い切ることができるのはなぜですか。

ヨハネ福音書10:10-18(2014年11月2日)
良い牧者なるイエス
(1)「良い牧者」と「雇い人」の特徴をそれぞれ挙げて下さい。
(2)16節の「この囲いに属さないほかの羊」とは何を意味していますか。
(3)「わたしには、いのちを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります」と言える人がいますか。

ヨハネ福音書10:1−9(2014年10月26日)
羊の牧者であり、また門であるイエス
(1)「羊の囲いに門から入らないで」と「門から入る」とは、それぞれどういう意味ですか。
(2)牧者なる主イエスの羊になるには、どのようにしてなるのですか。
(3)主イエスという門を通って入り、また安らかに出入りするとはどういう意味ですか。

ヨハネ福音書9:26−41(2014年10月19日)
あなたはその方を見たのです
(1)パリサイ人たちは盲人だった人に、なぜ同じことをもう一度聞いているのですか。
(2)28節の「私たちはモーセの弟子だ」とはどういう意味ですか。
(3)イエスがユダヤ教から追放された人を捜し求めたのはなぜですか。何のためですか。
(4)39節の「わたしはさばきのためにこの世に来ました」はヨハネ3章17節の「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく」と矛盾しませんか。

ヨハネ福音書9:13−25(2014年10月12日)
私は盲目であったのに、今は見える
(1)神が安息日を制定された目的は何ですか。盲人の目をあけることは安息日違反ですか。
(2)ユダヤ人たちが生まれつき盲目だった人の両親を召喚したのは何のためですか。
(3)生まれつき盲人だった人はどのように証ししていますか。

ヨハネ福音書9:1−12(2014年10月5日)
生まれつきの盲人のいやし
(1)「生まれつきの盲人」を見た時、この人に対する弟子たちの考えはどんなでしたか。
(2)今日でも様々な障害を持った人たちがすべて神のわざを現すためであると言えますか。
(3)この盲人は主イエスの奇跡的わざにあずかるのに何が必要でしたか。

ヨハネ福音書8:48−59(2014年9月28日)
アブラハムの生まれる前から、わたしはいるのです
(1)48節の「あなたはサマリヤ人で、悪霊につかれている」とはどういう意味ですか。
(2)主が「だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません」と言われたのはどういう意味ですか。
(3)58節の「アブラハムの生まれる前から、わたしはいるのです」とはどういう意味ですか。

ヨハネ福音書8:37−47(2014年9月21日)
神の子と悪魔の子の特徴
(1)人がもしアブラハムの子どもなら、どんなわざをするはずだとイエスは言われましたか。
(2)人間に対する悪魔のわざの特徴を2つ挙げて下さい。
(3)人として生まれた者で「私に罪があると責める者がいますか」と問えた人はいましたか。


ヨハネ福音書8:31−36(2014年9月14日)
真理はあなたがたを自由にする
(1)「主のことばが私にとどまる」のと「私が主のことばにとどまる」とは、どう違いますか。
(2)「真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」とはどういう意味ですか。
(3)「ある罪の行為をする者」と「罪を行っている者」(34節)とはどう違いますか。
(4)罪の奴隷であるならば、いつ「神の家」から追い出されるかもしれません。いつまでも「神の家」にいるには何が必要ですか。

ヨハネ福音書8:21−30(2014年9月7日)
主の警告を受けた不信のユダヤ人たち
(1)21節で、主が行こうとしておられる天に入るのを拒まれるのはなぜですか。
(2)24節で、「わたしのことを信じなければ」の訳語を原文に従って直訳するとどうなりますか。
(3)28節で、「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、…を、知るようになります」とはどういう意味ですか。
(4)「人が自分の罪のうちに死ぬ」(天国に入れない)ことから救われる道は何ですか。


ヨハネ福音書8:12−20(2014年8月31日)
世の光であるイエス
(1)人類史上、「わたしは、世の光です」と、本気で言えた人はいましたか。
(2)「わたしに従う者」とはどういう意味ですか。イエスを模範として生きることですか。
(3)主に従う者に与えられた約束は何ですか。どのようにしてその約束を経験出来ますか。

ヨハネ福音書7:40−53(2014年8月17日)
イエスに対し分裂する意見
(1)イエスがキリスト(救い主)であるかどうかは何によって判断するべきですか。
(2)下層階級の者のほうが、偉い人や学識のある人より、「何が真理か」をより正しく判断する場合が多いのはなぜですか。
(3)18ヶ月前イエスのところに初めて来たニコデモとこの時のニコデモとどう違いますか。

ヨハネ福音書7:37−39(2014年8月10日)
栄光を受けられたイエスの御霊
(1)「永遠のいのちの水」を飲むことが出来る条件は何ですか。
(2)キリストを信じる者の内側からわき出るいのちの水である御霊はどのようにながれますか。
(3)7章39節は「御霊はまだなかった」と直訳されますが、それはどういう意味ですか。


ヨハネ福音書6:52−59(2014年7月31日/外處家家庭集会で)
「イエスの肉を食べ、血を飲む」とはどういうことですか
(1)53節は、パン裂きの制定のこと言っているのではないとどうして分かりますか。
(2)6章54節と47節を対比して読むと、どういうことが分かりますか。
(3)主イエスと私たちキリスト者との「密接なきずな」を何に例えて語られましたか。

ヨハネ福音書7:14−24(2014年7月27日)
宮で教えをされるイエス
(1)その教えが神から出たものか、人から出たものかを判断するのは何によりますか。
(2)ベテスダの池のほとりでなされた主イエスのいやしは安息日の規定を破ることでしたか。
(3)「うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをする」には何が必要ですか。


ヨハネ福音書7:1−13(2014年7月20日)
世の人の考えと神の御心
(1)仮庵の祭りとは何を記念する祭りですか。その象徴的意味は何ですか。
(2)6節の「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつも来ている」とはどういう意味ですか。
(3)世(当時のユダヤ宗教)がイエスを憎み、殺そうとするのはなぜですか。

ヨハネ福音書6:66−71(2014年7月13日)
救い主のことばに対する様々な反応
(1)弟子たちのうちの多くの者が真の信者ではなかったのはなぜですか。
(2)ペテロの返答「主よ。私たちはだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます」とはどういう意味ですか。
(3)ペテロの返答で間違っているところはどこですか。主はどう訂正されましたか。
(4)多くの弟子たちが主に従うのを止めてしまった根本原因はなんですか。


ヨハネ福音書6:60−65(2014年7月6日)
主が話したことばは、霊であり、またいのちである
(1)「弟子たちのうち多くの者」はどういうことにつまずいているのですか。
(2)「人の子がもといた所に上る」とは具体的にどういうことですか。
(3)「主が話したことばは、霊であり、またいのちです」とはどういう意味ですか。
(4)「父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない」とはどういう意味ですか。

ヨハネ福音書5:24-29(2014年4月27日)
いのちを与え、さばきを行われる主
(1)どのようにしたら、人は主から永遠のいのちを受けることができますか。
(2)主イエスを信じる者が「さばきに会うことがない」のはなぜですか。
(3)父なる神より主イエスに「全人類にさばきを行う権」を与えられたのはなぜですか。

ヨハネ福音書3:16-21(2014年1月5日)
ひとり子を与えるほどの神の愛
(1)ヨハネ3章16節は、聖書全巻の中で最も有名な聖句として挙げられるのはなぜですか。
(2)「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」とは、どういう意味ですか。
(3)なぜ「御子を信じる者が滅びないで永遠のいのちを持つ」ことが出来るのですか。
(4)21節の「真理を行う者」とは、どういう人のことですか。


NTT・KDDI合同聖書研究会(2013年11月8日)
一泊研修会(於:奥多摩福音の家)での早天祈祷会でのメッセージとお祈り

(ヘブル10:19他)
イエスの血によって、大胆に
(神との交わりを回復する唯一の道)
私たち日本人の多くは「血」という言葉を好まない。しかし聖書によれば、
私たち罪人が神に受け入れられるためには、血が不可欠であることを
知る。「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはない」(ヘブル9:22)と
ある。
神が人の罪を赦す根拠となるものは「血」です。それも罪汚れにないお方
の「血」でなければならない。
驚くべきことに、被害者である神の側から加害者である私たちのところに、
罪汚れのない神の御子が与えられました。


ヨハネ福音書21:15−19
あなたはわたしを愛しますか
 「ヨハネの子シモン。あなたは…わたしを愛しますか」
三度も同じ質問がなされているのを見る。その中で一度は、「この人たち以上に、わたしを愛しますか」と。「この人たち以上に」ということばは、ペテロがかつて「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません」と言った自信過剰のことばを思い出させるためである。

ヨハネ福音書14章4〜11節
道であり真理でありいのちであるキリスト
 人生において、どこから来てどこへ行くのかという問題は根本的な問題で、この問題が解決していないと、真の生きる喜びを持つことはできません。人類はこの重大な問題を追及してきました。多くの人々が宗教や哲学の名の下にこの問題を切り開こうとしてきました。しかし、どんなに私たちがその有限な頭脳を用いても、その問題の本当の解答を示すことはできませんでした。これは、人間を越えたお方、人間の生も死もつかさどっておられるお方のみが持っておられるもので、それ以外に本当の解答はありません。       

ヨハネ福音書10章19〜30節
救いの確かさの根拠
 私たちの信仰の確かさ、救いの確かさはどこにあるのでしょうか。ある人は、自分の救いの体験にその確かさを求める。しかし、人間の体験というものは、その背後に神による事実がないかぎり本当の確かなものとは言えません。この個所では私たちの救いの確かさについての保証が教えられています。

ヨハネ福音書9章1〜12節
人に光を与えるお方キリスト(御言葉に従う時に光が来る)
 人は、不幸や悲惨の原因や理由を知ろうとして、過去に目を向けようとしますが、主イエスは未来に目を向けておられます。たとい過去に原因や理由があったとしても、過ぎ去ってしまった過去を、私たちはどうすることもできません。しかし、未来はこれからです。神がその不幸や悲惨を通して何かをしようとしておられることに気づかなければなりません。

ヨハネ福音書8章31〜41節
本当の自由
 日本において、言論の自由、教育の自由、集会、結社の自由、信教の自由も与えられています。しかし、自分の習慣や性格の奴隷になっていたり、世間体やメンツの奴隷になっていたり、欲望やお金の奴隷になっていたり、死の恐怖の奴隷になってはいないでしょうか。主イエスは、「真理はあなたがたを自由にします」と語られました。それはどういう意味でしょうか。

ヨハネ福音書8章12〜20節
いのちの光であるキリスト
 主イエスは、ご自分のことを、これまで、「いのちのパン」である、また、「生ける水」を与える方として示されました。そして、ここでは、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことなく、いのちの光を持つのです。」と宣言されました。「いのちの光」とは、人間が人間として生きていく上に必要な光であり、ただ人の心を照らす光であるだけでなく、人に豊かないのちを与え、喜びを持って神と人とに仕えることができるようにします。

ヨハネ福音書8章1〜11節
裁かない主イエス
 敵対する人々は、姦淫の罪を犯した女を連れてきて、彼女はどのような刑罰に相当するかと、「イエスをためして」尋ねた。イエスを言葉の罠にかけて告発しようとしていたのです。どちらにころんでも断罪しようという、板挟み論法を使った。

ヨハネ福音書7章37〜39節
生ける水の川
 主イエスは、ここで、主のもとに来て飲む者、すなわち彼を信じる者が、決して渇くことがないだけでなく、彼ら自身、いのちと恵みの生ける水の流れ出る源泉となることを、約束しておられます。
 ペンテコステの時に注がれた神の御霊は、栄光を受けられたイエスの御霊として、すなわち、受肉し、十字架につけられ、上げられたイエスの御霊として来られました。ただ神のいのちとしてでなく、キリスト・イエスの人性に織り込まれた神のいのちの保持者、また付与者として来られたのです。

ヨハネ福音書7章25〜36節
主を信じるべき時
 神の憐れみは無限ですが、それが提供されている時には限度があります。少なくとも福音を聞いた今を取り逃してしまうと、もう一度そのチャンスが訪れて来るかどうか、だれもそれを明言することはできません。今のように自由に信じることができる時が、いつまでも続くと考えておられるかもしれませんが、そうではないのです。やがて信じようとしても信じることのできない時が来ます。その時ではもう遅いのです。今こそ主イエスを信じるべき時なのです。

ヨハネ福音書7章14〜24節
正しい判断を下す方法
 自分では正しい判断を下したつもりでも、必ずしもそれが正しいとは限らないことがある。どうして正しい判断を下すことができないのかと言うと、みな偏見を持っているからではないだろうか。自分に都合のよい情報は受け入れても、都合の悪い情報は排除してしまう。いつでも自分の立場で物事を判断して、正しい判断を下すことができない。
 主イエスは、私たちが正しい判断を下すにはどうしたらよいのかを語っておられます。

ヨハネ福音書6章52〜59節
命に溢れたキリスト者
 主イエスは、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません」と語られました。この言葉を聞いた弟子たちのうちの多くの者が、「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」と言ってつまずき、イエスのもとを去って行きました。この言葉を誤解したのです。イエス様はどういう意味で語られたのでしょうか。






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